南極観測隊の知られざるチームづくり 初の女性隊長に聞く、多様性を生む工夫とはアンコンシャスバイアスの学びを導入

研究者やエンジニア、医師など多様なスキルを持つ人材が集まって、地球の環境変動を調査する南極地域観測隊。滞在期間が1年4カ月の越冬隊と、4カ月間の夏隊が毎年派遣されている。2018年に派遣された第60次南極地域観測隊で、女性で初めて副隊長 兼 夏隊長を務めた原田尚美さんに、厳しい環境で隊を率いるにあたり実践したチームづくりと、女性リーダーとしての工夫を聞いた。

» 2023年01月30日 10時00分 公開
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初の観測隊参加から26年後、女性初の夏隊長に就任

 南極地域観測隊(以下、南極観測隊)は、南極観測船「しらせ」と1957年に開設された昭和基地を拠点に、地球環境の観測を行うものだ。国立極地研究所や気象庁、大学などに所属する研究者をはじめ、企業の研究者やエンジニア、医療関係者、土木や建設の技術者、調理人、学生など多様な人材が参加する。

photo 原田尚美(はらだ・なおみ)。東京大学 大気海洋研究所 附属国際・地域連携研究センター 教授。国立研究開発法人 海洋研究開発機構(JAMSTEC)地球表層システム研究センター 海洋生態系研究グループ上席研究員。名古屋大学大学院理学研究科大気水圏科学専攻博士後期課程満了。南極観測隊の第33次夏隊に日本の南極地域観測隊史上2人目の女性隊員として参加。第60次では女性初の副隊長 兼 夏隊長を務める

 原田さんは91〜92年に派遣された第33次夏隊に初参加した。約70人いる隊員のうち、女性は原田さん1人。史上2人目の女性隊員だった。当時大学院生だった原田さんは、男性の先輩が誰も行きたがらないのを見て、自ら参加を希望した。

 「大学院生のとき、指導教官に観測隊への隊員派遣の依頼が来たのですが、最初は男性の学生に声が掛かりました。でも、そんな寒いところには行きたくないという人たちばかりだったので(笑)、私が手を挙げました。大学の卒論を指導した教官が南極観測の経験がある人で、南極の素晴らしさを楽しそうに話すのを聞いて憧れを持っていたんです。

 観測隊での業務は当時、私が研究していたテーマとは違っていたので指導教官からは大反対されました。けれど、この機会を逃したら二度とチャンスはないと思い『しっかり論文を書きますから』と指導教官を説得して、行かせてもらいました」(原田さん)

 第33次夏隊で原田さんは海洋観測に携わった。海の表層ではプランクトンが二酸化炭素を原料に光合成をして、有機物を作り出す。海の深い方へと沈降していくその有機物の粒子は「マリンスノー」と呼ばれる。原田さんはこの有機物の粒子を採取し、量や季節変化などを観測する生物・医学班に所属した。

 「往路の『しらせ』で、寒い南極の海に鉄製のチェーンなどで構成されるセジメントトラップ係留系をひたすら投入します。そして『しらせ』の復路で回収するのがメインのプロジェクトでした。南極観測は体力勝負で、1人ではできない仕事が大半です。多くのみなさんに助けていただいて、務めあげることができました」(原田さん)

※海中に係留することで長期間にわたる変化を観測する自動サンプリング装置(セジメントトラップ)のこと

 隊から戻ってきたあと、原田さんは海洋科学技術センター、現在の海洋研究開発機構(JAMSTEC)に就職。約50人が所属する地球表層システム研究センターのセンター長を務めていた2018年に、第60次の副隊長 兼 夏隊長として声がかかった。

 「10年頃から北極の研究に関わるようになって、南極観測についてもさまざまな計画を話し合う委員会の委員に就いていました。JAMSTECでマネジメントの仕事もしていたので、その部分を買っていただいたのかもしれません。南極にはまたいつか行きたいと思っていたので、お受けすることにしました」(原田さん)

観測隊チームの初対面は雪山での過酷な冬訓練

 南極の真夏は2月で、最高気温は2〜3度。冷え込むと氷点下10度くらいで「北海道の冬の気候と似ている」(原田さん)。南極ではもっとも暖かく活動のしやすいこの時期に、夏隊には多くのチームが参加して観測を行うことになる。

 副隊長 兼 夏隊長に任命された原田さんの役割は、隊長を補佐するとともに夏隊の業務を取りまとめること。夏は観測に加えて施設の建設なども行う。さらに、越冬隊が冬の間に必要とする物資の輸送などもある。野外観測の移動や空からの輸送を担う自衛隊などのヘリコプターのスケジュールを管理することも、原田さんの重要な仕事だ。

 第60次隊が派遣されたのは18年11月。その年の2月に、夏隊員と同行者を合わせた約70人と、越冬隊員の約30人が初めて顔を合わせた。集合してすぐにバスで向かった先は長野県と岐阜県にまたがる乗鞍岳(のりくらだけ)。冬の雪山で1週間にわたって過酷な冬訓練を実施した。

 「チームに分かれて、雪山で地図とコンパスだけで目的地を目指す訓練や、簡易型テントのツェルトで一晩過ごす訓練、氷や雪の割れ目のクラックに落ちたことを想定して救出する訓練などを行いました。

 どちらかといえば、南極での活動よりも冬訓練の方が環境も厳しく、身の危険を感じることがあります。過酷な状況で一週間濃密な時間を過ごすことにより、チームに一体感が生まれるんです」(原田さん)

 冬訓練でチームが一体となってから具体的な準備を進めていくのが、観測隊が通常行っているチームビルディングだ。冬訓練の期間中、夕食後に隊長と副隊長は隊員1人1人にインタビューを行う。これまで取り組んできた研究や業務の内容、南極への思い、家族のことなどを聞き、対話を通して隊員のことを把握する。

 冬訓練が終わると、4月からはチーム別に南極に行くための準備を始める。6月以降は座学の夏訓練が行われるほか、7月に隊員室が用意されて、出発に向けた作業が本格化する。こうした準備期間を経て、11月に日本からオーストラリアのパースへ空路で入り、最寄りの港湾都市フリーマントルにて南極観測船「しらせ」に乗って出発することになる。

ALTALT 左:南極観測船「しらせ」。南極へ出発するのは11月だが、隊員はその半年以上前から雪山訓練、座学などを通しチームの一体感を高めていく。右:「しらせ」に乗船し、宮崎好司艦長と握手を交わす原田さん(提供:原田さん)

※「崎」は正しくは“立つ崎”

隊員に伝えた「アンコンシャスバイアス」

 ただ、原田さんは第60次ではこれまでの観測隊とは違う準備が必要だと感じていた。それは、原田さんが女性で初めての副隊長 兼 夏隊長だったからだ。

 「夏隊長としてみんなに受け入れてもらえるのだろうかという思いが、私の中で強くありました。リーダーは男性という固定観念がありますよね。アメリカのシリコンバレーで行われたアンケート調査で、男性と女性のどちらのリーダーの下で働きたいかを聞くと『男性』という回答が圧倒的に多かったという結果があります。これは日本でも同じだろうと思い、女性のリーダーに慣れてもらう必要があると考えました」(原田さん)

 そこで原田さんは、3月頃からアンコンシャスバイアスについて専門家から学び始めた。アンコンシャスバイアスとは、無意識のうちに「こうだ」と思うこと。日本語では「無意識の思い込み」や「無意識の偏見」などと表現されている。

 この考え方を全員に知ってもらうため、座学で講義を行った。原田さんが実行しようとしていた調整型のマネジメントを理解してもらうことが、大きな目的の1つだった。

 「男性リーダーの場合は強いリーダーシップを発揮して引っ張っていくイメージが、ステレオタイプとしてあると思います。私が目指したのはそうではなく、トラブルが起きそうになれば、芽が小さいうちにつみ取るようなイメージの調整型マネジメントです。アンコンシャスバイアスの考え方を知ってもらって、コミュニケーションを深めることで、私に対する信頼感を持ってもらうことを心掛けました」(原田さん)

先輩隊との摩擦を回避 アンコンシャスバイアスへの理解は現地でどう生きたか

 原田さんがアンコンシャスバイアスの考え方をチームに取り入れた目的はもう1つあった。それは、1年前から南極に滞在している第59次の隊員との衝突を避けるためだ。

 「私たちが昭和基地に入ると、そこには先輩隊である第59次の越冬隊がいて、夏の間は一緒に仕事をします。ところが、先輩隊は過酷な環境の中で同じ顔ぶれの人々だけで過ごしてきたので、後輩である60次隊に対して壁を作ってしまう可能性がありました。特に初めて参加した隊員や、観測経験がない隊員、あるいは女性隊員といった弱い立場の人は、受け入れてもらうまでに時間がかかる傾向にあります。これは観測隊ではよくあることです。どんなに社交的な人であっても、こうしたメンタリティになってしまうことを私は経験上知っていました。

 そこで、先輩隊に友好的ではない言動があったとしても、それはその人の本心ではなく、過酷な環境が言わせている可能性があるので気にする必要はないことを、アンコンシャスバイアスの考え方で説明しました」(原田さん)

 実際に南極で仕事を始めると、先輩隊から予想された通りの対応を受けた隊員もいた。それでも、大きなトラブルに発展することはなかったという。

 「60次隊員は、アンコンシャスバイアスを知っていたことでうまく対応することができたようで、特に女性隊員は『原田さんが言った通りでした』『何とかうまくかわすことができました』と話していました。

 もしも受け流せずに摩擦が生じると、仕事の遅延や事故につながる恐れがあります。アンコンシャスバイアスの考え方が浸透することによって、そのリスクを取り除くことができた――調整型マネジメントが機能したのだと、安堵しました」(原田さん)

「何のために南極に来たのか?」 トラブル時には初心に戻って前進を

 もちろん、アンコンシャスバイアスの考え方だけでは避けられないトラブルもある。それは先輩隊に限らず第60次隊の中でも同様で、人間関係がうまくいかないチームも実際に出てきた。割れてしまったチームでも仕事を前に進めるために、原田さんは隊員に観測隊の目的に立ち戻ることを促した。

ALTALT 左:「しらせ」にてサンプリングを行う様子。右:南極で陸上生物チームと。中央に原田さん(提供:原田さん)

 「人間関係がうまくいっていないチームには、別のチームからサポートメンバーに入ってもらうこともあります。それでもうまくいかないチームには、メンバーそれぞれと個別にコミュニケーションをとって『何のために南極に来ているのかをもう1回考えてください』とお願いしました。私たちのミッションは、観測データを取って、それを日本に持ち帰ることです。この目的に立ち戻って仕事に取り組みましょうと繰り返し話しました」(原田さん)

 野外で観測を行っているチームには、1週間で各地を転々とするチームもあれば、1カ月単位で一箇所に滞在しているチームもある。原田さんは野外のチームとは毎日夕方の決まった時間に無線で連絡を取り合っていた。

 「定時交信は隊員の身の安全を守るためでもあります。一歩間違うと死が隣り合わせにある場所ですから、交信は毎日の重要な仕事です。野外から帰ってきたチームが問題を抱えている場合は、話を聞いて、一緒に解決する方法を考えました。

 また、誰がいつ来ても相談しやすいように、私はオペレーション室という決まった部屋にいるように心掛けました。そこには私以外にもサポートしてくれる隊員がいます。その部屋に行けば、必ず誰かが話を聞いてくれると思ってもらえるような雰囲気になっていました」(原田さん)

 原田さんが夏隊長として2カ月間の滞在を終え日本に戻るとき、ヘリコプターからヘリポートを見下ろすとハートマークの人文字が見えた。引き続き南極で1年を過ごす越冬隊員からのメッセージだった。

 「別れ際に『これから1年間ハッピーに過ごしますよ』という意思表示をしてくれたのだと思います。観測隊の隊長にはいろいろなタイプの方がいて、それぞれにチームづくりの信念ややり方があります。自分はどうだったのだろうと考えたとき、思い出すのはあの人文字で、『私は間違っていなかったかな』と当時ヘリから感慨深く見つめたことを覚えています」(原田さん)

photo 第60次越冬隊員が人文字で送り出す様子(提供:浅井咲樹さん<現在:水産研究・教育機構>)

多様性が高いチームでリーダーもまた成長できる

 最近は人材流動化が加速し、企業側も多様性を高める目的で異なるスキルを持つ人材を積極的に受け入れ組織を活性化していきたいと考える傾向にある。しかし既存の共同体に「異分子」が入ったとき、摩擦が生じる可能性は少なくない。そのような事態を避けようと考えたとき、マネジメント層が南極観測隊と原田さんに学ぶことは多いはずだ。

 「これは私の経験則ですが、メンバーのメンタリティはリーダーのマネジメントによって大きく左右されます。リーダーが日々小さな不満をつみ取り、それによって充実した時間を過ごせている組織であれば、内外に寛容になれて摩擦が生じる機会も減るはずです。私は、個々の体調、メンタル、チームのコミュニケーションは全てつながっていると思っていて、それがマイナスに循環するのかプラスに循環するのかにおいて、リーダーの存在は要だと考えています」(原田さん)

 加えて、チームの多様性を生む上で「さまざまな組織にアンコンシャスバイアスに対する理解がもっと広がってほしい」と、原田さんは最後にこう話す。

 「マネジャーになる人には全員、アンコンシャスバイアスを学んでほしいと思っています。誰でもつらいとき、苦しいとき、忙しいときなどにはアンコンシャスバイアスによる発言になりやすいと理解できれば、相手を理解しやすく、自分の発言もコントロールできます。その結果、誰もが仕事しやすく、あるいは生きやすくなるのではないでしょうか。まだ広く知られていませんから、多くの組織に広がることを願っています」(原田さん)

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