それいけ! デジコレ探索部「第2回 北斎のデッサン本」まだ見ぬお宝を求めて

日本の貴重なデジタル化資料を公開している国立国会図書館デジタルコレクション(デジコレ)。本連載では、デジコレで見ることができるデジタル化資料の中からコレは! というものを探し出し、紹介していきます。

» 2014年06月27日 12時00分 公開
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 「八朔太夫図」「阿耨観音図」「ほととぎす虹図」。

ん? 葛飾北斎かしら?

 なんで当てちゃうんですか。というか北斎の中ではマイナーなものを選んだつもりだったのによく分かりましたね。

伊達にオレンジ文字やってないわよ。

 (オレンジ文字って一体なんなんだ……)えー、第2回のデジコレ探索部では葛飾北斎が手掛けたある作品について取り上げます。その前にまず北斎について、簡単にその生涯を説明していきましょう。

文献によって多少情報が違うこともあるから注意してね。

 北斎は1760年、現在の東京都墨田区で貧しい百姓の子として生まれました。幼いころから手先が器用で、6歳から絵を描き始め、14歳で木版彫刻師に弟子入りしてその技術を磨きました。18歳になると、写実的な役者似顔絵を得意とする浮世絵師・勝川春章の門下となり、勝川春郎の名で浮世絵だけでなく、加納派の技法や、西洋画の技法を学びます。このころ第1回でも触れた「黄表紙」の挿絵も描いています。

 浮世絵師に師事しながらも、その好奇心の旺盛さから他の芸術の技法にまで手を伸ばした北斎は、当然のことながら春章の怒りを買い、破門されることになります。その後は貧乏な生活が続きますが、絵描きをやめることはなく、「画狂人」「雷震」「戴斗」など雅号(画家としての名前)を30回も変えながら絵を描き続けました。なぜ30回も雅号を変えたのかというと、北斎が飽きっぽかったからというわけではなく、新人のふりをすることで世間の人に実力を評価してもらうという目的があったそうです。ちなみに最晩年の雅号は画狂老人卍。漫画雑誌で連載されてそうな名前です。

 また北斎は当時としては大変な長寿だったことでも知られています。あの有名な「冨嶽三十六景」を発表したときには72歳、その後も筆を置くことはなく、88歳で生涯を閉じるまで絵を描き続けたそうです。

辞世の句も北斎らしいわよね。 ―「人魂で 行く気散じや 夏野原」― 人魂になって夏の野原にでも気晴らしに出かけようか、という意味よ。

 死を前にしても「気晴らし」なんてことを言える北斎、芸術家の鏡のような人ですね。さて、そんな北斎が50代のときに描いた作品がデジタル資料として公開されています。作品の名前は『北斎漫画』(正式には『伝神開手 北斎漫画』)。絵手本と呼ばれるいわゆる画集なのですが、評判を呼び、北斎の死後、明治に入ってからも刊行され続け、最終的には全部で15編の『北斎漫画』が誕生しました。

 ここでいう漫画というのは、現代の漫画とは趣が異なります。北斎いわく「気の向くままに漫然と描いた画」。ストーリーのあるものではなく、絵を学ぶ人たちへ向けた、デッサン集のようなものです。ただ、描かれた人物たちのユニークな姿は現代の漫画にも通じるところがあるかもしれません。

魚、貝、エビ……なぜかタコだけ漫画チックな顔
こっちは木ですね 北斎は人物だけではなく風景にも注目したそうです
一軒だったり、街並みとして描いたり
能に使われるお面でしょうか
タイトルを担いだ2人の子ども 現代の漫画家としても通用しそう
MPが吸い取られそうな踊り
家の描写に驚きます 1800年代初頭でもこういう描き方はあったんですね
妖怪シリーズその1 北斎は「百物語」を題材とした化物絵を描いていますが、現在確認されているものは「お岩さん」や「笑ひ般若」など5図のみとなっています
妖怪シリーズその2 河童かわいい
複雑な模様 『北斎模様画譜』なる北斎の描いた模様の絵を集めた本も刊行されています
3次元的な家の描き方
またMPを吸い取ろうというのか……
象が初めて日本にきたのは1400年ころらしいです
こちらは座頭(目が不自由で按摩(あんま)師などを生業とした人たち)と瞽女(同じく盲目の女性で、主に旅芸人として世を渡り歩いた人たち、読み方はごぜ)の顔を描いたもの
作中の人物がタイトルを描いてます 漫画的な表現ですね
銃の構造図 リアルですね
こちらはちょっと珍しい昼と夜を半分ずつ描いた風景画
金太郎と動物たち

 北斎のユニークな絵の数々、いかがだったでしょうか。

一生を描くことにささげた北斎だからこそ描ける絵なんでしょうね。

 『北斎漫画』はフランスのエッチング画家ブラックモンによって『ホクサイスケッチ』の名で海外に紹介され、ゴッホやモネのような印象派画家たちに大きな影響を与えたといいます。多少形式は違うものの、漫画という存在は今も昔も、日本と海外をつなげるかけ橋になっていたんですね。

 それでは、また次回お会いしましょう。

(出典:国立国会図書館)

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