caworld 2002 Keynote:第一線を退いても影響力の衰えない2人の「ニューヨーカー」(2)

【海外記事】2002.4.22

ウォン氏とジュリアーニ氏の1問1答

 ジュリアーニ氏による,リーダーシップのための5つ資質のスピーチ終了後,再びステージにウォン会長が登場し,来場者から募集した設問を基に,両者の対談が和やかに繰り広げられた。その様子は,以下の通りだ。

和やかに談笑するウォン氏とジュリアーニ氏

ウォン 現在,空いている時間は何をしていますか。

ジュリアーニ 今までのことを振り返るいい機会だと思い,いろいろなことをしています。本を読んだり,書いたり,スポーツ観戦をしたり……。

ウォン 2001年9月11日は,忘れられない最悪の1日になりましたね。

ジュリアーニ 確かにその通りです。しかし,あの一件で米国は強くなりました。これは,米国国民の皆さん,全員の努力のおかげだと思っています。米国国民みんなの勇気が米国をさらに強くしたのです。

ウォン 私と同じ年頃の子供さんをお持ちですが,あの日のことをどのように伝えましたか。

ジュリアーニ 私は,話をする前に現場に連れて行きました。そこから何かを感じてくれたと思います。市長時代にも多くの方から「子供に何と話せばいいでしょう」と聞かれました。私は,「事実を話してあげてください」と答えました。人生には,完全な保障というものはどこにもありません。リスクが付きまとうものだということを理解してほしいと思います。

ウォン 現在の米国の問題点はどんな点でしょう。

ジュリアーニ 子供たちの教育の問題です。現在,教育は,人間形成のためでなく,雇用確保の道具に利用されています。本来,教育とは,子供たちの未来を最優先で考えるべきなのに,雇用の道具として利用されていることが大きな問題だと思います。

ウォン氏に,NHL,ニューヨーク・レンジャーズのジャージをプレゼントされ喜ぶジュリアーニ氏(“RUDY”はジュリアーニ氏のニックネーム)

ウォン ところで,ブルックリン出身(元ドジャースの本拠地)なのになぜヤンキースファンなのですか。

ジュリアーニ 私の父はニューヨーク出身で,母はブルックリン出身でした。2人は結婚してブルックリンに住んだのですが,父はニューヨークに住みたかったらしく,その復讐として,私が生まれたときにヤンキースのユニホームを着せたのです。これは,本当の話です(笑)。もちろん私も,自分の子供にヤンキースのユニフォームを着せました。

ウォン 大統領(プレジデント)に立候補する気はないのですか。

ジュリアーニ 大統領(プレジデント)? ヤンキースの社長(プレジデント)なら,すぐにでもなりたいです(笑)。でも,合衆国大統領は,ブッシュが適任だと思います。

 さすが,見事なオチで会場を後にする2人を,会場一同,スタンディングオベーションで見送った。

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[山下竜大 ,ITmedia]