エンタープライズ:ニュース 2003/11/07 17:41:00 更新


悲劇からの復旧――9.11ディザスタリカバリを振り返る

惨劇から2年以上が経過したニューヨーク。グラウンドゼロも平静を取り戻しているが、Lehman Brothers、NYBOTはあのとき何を考えてディザスタリカバリを実践したのか――。

 惨劇から2年以上が経過した街は平静を取り戻している。115階建てのツインビルが建っていた“グラウンドゼロ”は復興計画も決まり、いまはニューヨーク観光に訪れる人が立ち寄る悲劇の名所となっている。旅客機がワールドトレードセンター(WTC)に突入し、多くの市民を巻き添えにして崩壊した9.11の日の出来事には、多くのヒューマンドラマを含んだストーリーが語られているが、IT組織にとっては、ディザスタリカバリがそれに当たるのかもしれない。

グラウンドゼロ

コンペにより新たな復興デザインも決まったグラウンドゼロ


 WTCには、多くの金融機関のオフィスが入っていた。米証券会社のLehman Brothersもその例外ではなかった。「800人がWTCで働いていました。WTCの正面に位置していたワールドフィナンシャルセンター(WFC)にはデータセンターがあり、大きな影響を受けました」と、Lehman Brothersのブリジット・オコナーCTOは振り返る。WFCのデータセンターは最初の崩壊で空調が断たれ、2回目の崩壊で接続が失われた。Lehman BrothersのIT部門にとっては、悲劇を振り返る間もなく、データ復旧の戦いがスタートした。

 米国金融の中心を襲った前代未聞の攻撃に、金融市場は多くの機能を失い、取引の停止は即座に決定された。しかし米国の威信にかけ、約1週間後には市場を再開。データセンターを失ったLehman Brothersを含めほとんどの大手金融機関は、マーケットの再開合わせて戻ってきた。

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Lehman BrothersのCTOブリジット・オコナー氏(右)とジョセフ・ヘッジコック副社長(左)


 「デュアルデータセンター戦略が災害前からあったからです」。オコナーCTOは理由を述べる。同社は9.11以前、ハドソン川の対岸、101ハドソンにバックアップサイトとなるデータセンターを備えていた。WFTのデータセンターとはダークファイバーを利用したバックアップ専用線も引かれており、復旧計画も万全だった。「このような規模の災害も当然想定の範囲ではありました」(ジョセフ・ヘッジコック副社長)。

 だが、9.11前状態にデータをもどすのは、チャレンジングなことだったという。バックアップデータをテープに依存していたため、マーケットの再開までにリカバリが間に合うかが問題になったのだ。

 「テープのプロセスには問題がありました。101ハドソンにオンラインバックアップも行っていましたが、テープに依存する量が多く時間がかかってしまいました。オンラインとテープ、このバランスがよくなかった。どのマーケットが最初に再開するのか、再開の早いものから復旧していく必要がありました。問題はデータセンターがなくなったことではなく、長いこと使えなかったことです。バックアップとリストアはまったく違った時間的概念だったのです。バックアップはレプリケーションで省略しても良いかもしれませんが、リストアできることが重要だったのです」(ヘッジコック副社長)

 9.11後は、テープに依存しないリカバリを行える環境づくりに挑んでいるという。また、正しいと実証されたデュアルデータセンター戦略を強化する取り組みも継続。101ハドソンのデータセンターに加え、ローワーマンハッタンの10thアベニューにデータセンターを築いたが、さらにニューヨーク市から30マイル程度離す計画だという。SEC/FEDは、クリティカルな企業に対しバックアップデータセンターをニューヨーク市から200〜300マイル離すことを求めるガイドラインを策定しており、9.11の教訓に基づいたものとなっている。

 「核攻撃があったとしても問題がないように計画しています」(オコナーCTO)。同社の資料を見ると、風向きまでも計算され、核攻撃による間接的影響も受けない位置を特定している徹底のしようだ。

ディザスタリカバリへの投資を惜しんではいけない

 ニューヨーク商品取引所(NYBOT)は、9.11のディザスタリカバリの成功を大きく評価されているケースの1つだ。同取引所は、9.11当時WTCに設けられていた。立会い取引を行っている同取引所は、まったく同様の機能を持たせられる取引場をもう一つ確保する“ホットサイト”という考え方を持つ。NYBOTのパトリック・ガンバロCOOは、ビジネスのボトムラインを確保するための投資は絶対に怠ってはいけないと訴えている。

NYBOTの取引場

NYBOTでのコーヒー取引の様子


 「93年のテロではWTCのエアコン、エレベーター、PCなどすべてが止まった。このとき、データセンターなどはフィラデルフィアの設備を代替にできたが、取引場を確保しておく必要を感じた。ビジネスが止まるということは一番の問題だ」(ガンバロCOO)。この教訓からホットサイトの準備を始めた。

 「理事会には予算がかかりすぎると反対を受けたが、やらなければならない、と根強く説得を行った。無駄遣いだと言われ続けたが、コンサルタントに相談すると1時間で35万ドルの損失になることが分かった」と述べるガンバロCOOは、保険のような投資を納得させることの難しさを実感したという。しかし根強い説得の結果、ロングアイランドの1000平方フィートの施設にバックアップサイトを設けることができた。

 仮想的な取引場となるエレクトロニクス・トレーディング・システム(ETS)に移行することも考えられたが、商品取引にはブロカーが声を出して取引を行う立会いが適しているため、物理的にもう1サイトを設けることにした。――9.11のテロでは、出社していた従業員とともにWTCの取引場を失ったが、9月17日には取引可能な状態となり、18日から取引を再開することができたという。

 「われわれはラッキーだったと言われるが、運ではなく準備をしていたことがラッキーだった。あれから2年が過ぎて忘れ始めているかもしれないが、計画と準備ができていることが大切なのだ。大きなビジネスをしている以上、ビジネスの継続性を維持する投資を十分に行ってからでなければ、収益をあげることはできない」(ガンバロCOO)。

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[堀 哲也,ITmedia]



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