技術者はアーティストであり、製造業者ではない:情報マネージャとSEのための「今週の1冊」(71)
世間一般的に言われている「生産性向上のポイント」などをうのみにしてもイノベーションなど起こせるわけがない。自社の提供価値の本質を見極める姿勢が大切だ。
イノベーションとは何か
「ものづくりにこだわる限り、イノベーションは生まれない。特に情報産業の中心はソフトウェアであり、それは同じ製品を大量生産するものづくりではなく、一つの作品をつくるアートだから、要求されるスキルが製造業とはまったく違う」――
本書「イノベーションとは何か」は、タイトル通り、生産性を向上させる上で不可欠とされてきた“イノベーション”の本質を追究した作品である。イノベーションをテーマにした書籍は多数提供されているが、本書の場合、単なる成功事例の紹介ではなく、あらゆる成功事例、失敗事例を分析し、「イノベーションが起こることの必要条件」の抽出を試みている点が特徴だ。
冒頭は、そうして抽出した複数の仮説の中の1つなのだが、その考察において「ソフトウェアの生産はハードウェアとまったく違う。開発と生産が一体だから、開発者と製造工程の緊密な連携といった日本企業の優位性が生かせない」とハードウェアとソフトウェアにおける“製造”の本質的な違いを解説。これに基づき、「イノベーションの意味も、製造業とソフトウェアではまったく違う」と指摘するのである。
具体的には、「前者では固定費が大きく、いったん設計した製品を改造するコストが大きい」。よって「イノベーションにとって重要なのは大規模な設備投資」となるが、ソフトウェア製品のイノベーションの場合、「(掛かる)コストは低いが、多くの人々に共有されないと意味がないので、プラットフォーム競争が重要となる」と解説。情報産業におけるイノベーションの本質に少しずつ切り込んでいくのである。
ただ、そうした考察の中でも注目すべきは、「ソフトウェア技術者は、人によって生産性が大きく違うので、彼らのモチベーションを高めることが重要だ」という指摘だろう。著者はここでスクウェア・エニックスCTO 中島聡氏の言葉を借りて、「アメリカのソフトウェアビジネスにとってのソフトウェアエンジニアは、球団経営における野球選手のような存在」であり、「心地良い労働環境を提供して、彼らの生産効率を上げることが、ビジネスを経営するうえでもっとも大切なことのひとつである」と主張するのである。
だが日本の大多数のソフトウェアは、「ITゼネコンと呼ばれる大手ベンダが受注し、仕様を決めて下請け・孫請けに発注する多重下請け構造になっている」。これを受けて、コストを「人月」で計算する「労働集約型のビジネスモデル」が定着しているほか、ITゼネコンは仕様の決定と工程管理を行うだけという「開発の下請け化」が進んでいる。さらに「工程が階層型になっているため、所定の仕様に基づいて下請け・孫請けに出され、イノベーションが生まれない」構造になっていると指摘するのだ。
そしてあらためて、家電や自動車など“ハードウェアの製造業”と対比し、ハードウェアの製造なら「このような構造は合理的で、国際競争も機能するが、情報産業にはこうした構造はそぐわない。なぜなら情報産業は、決められた規格の製品を大量につくるものづくりではなく、ひとつだけ作品を作るアートに近い仕事だからだ」と結論付けるのである。「Artは日本語では『芸術』と訳されるが、本来の意味はもっと広く、手仕事や職人芸などの『技法』を意味する」という言及も興味深い。
さて、いかがだろう。近年、開発・運用業務にも厳しいコスト削減の波が押し寄せ、業務を効率化するツールも多数提供されている。ただ、それらは本来、“より多くの業務をこなす”ためのものではなく、リソースに余裕を作ることで、システム企画など、情報システム部本来のクリエイティブな業務への集中を支援するためのものであったはずだ。
だが現実には、システム開発・運用の現場層も管理層も、多忙な日々の中でIT部門本来の目的を忘れ、“ハードウェアの製造業にとっての生産性向上”ばかり重視してしまっているケースが多い。しかし情報産業にとって、「製品はアートに近いもの」なのである。そうした製品特性と自社の提供価値に基づけば、現場層1人1人が創造性を持つことや、経営層が「アーティストにとって創造的な環境を用意する」ことが、“情報産業における生産性”向上、イノベーション創出の1つのポイントとなることを、ごく自然に理解できるのではないだろうか。
そしてもっと言えば、情報産業に限らず多くの会社が“勘違い”を犯してしまっているのではないだろうか。自社の業種・業態、提供する製品・サービスによってイノベーションを起こすポイントはさまざまである。そうである以上、ただ世間一般的に言われている「生産性向上のポイント」などを杓子定規に自社に当てはめたところで、イノベーションなど起こせようはずがない。自社のコアコンピタンスを振り返り、社会に対する自社の提供価値の本質を見極めなければ、それを高められる真に有効な方策など導き出せようはずがないのだ。
多数の仮説を紹介する本書は、“貴社にとってのイノベーション”に必要なものを、あらゆる角度から諭してくれるはずだ。生産性・収益向上というスローガンに追い立てられ、“目先の収益向上”“都合の良いマニュアル”しか目に入らなくなりがちな今、自社の発展にとって、またそこで働く自分の進展にとって何が一番大切なのか、あらためて考えてみてはいかがだろうか。
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