総務省とキャリアの“いたちごっこ”に終止符は打たれるのか? 20年間の競争と規制を振り返る:ITmedia Mobile 20周年特別企画(1/3 ページ)
モバイル市場のこの20年間を、競争と規制という視点から振り返ってみたい。2000年代前半には、“日本型販売奨励金モデル”により、半年〜1年程度型落ちのハイエンド端末が、ほぼゼロ円で手に入った。総務省は「分離プラン」の導入を要請したが、キャリアとのいたちごっこが続いている。
ITmedia Mobile 開設20周年おめでとうございます。モバイル市場のこの20年間を、競争と規制という視点から振り返ってみたいと思います。
ガラケーが我が世の春を謳歌
20年前の2001年といえば、その2年前の1999年1月にドコモが「iモード」を上市し、翌年2000年11月にJ-フォンが世界初のカメラ付きケータイ「SH-04」と「写メール」を上市するなど、“ガラケー”が我が世の春を謳歌(おうか)していた時代。世界中から“モバイル先進国”日本が注目され、当時、世界各国のキャリアやメディアから取材が入り、筆者が海外へ調査に行くと、「なぜ日本はモバイルで成功したのか」と逆に取材されたことを懐かしく思う。
日本が2000年代前半に“モバイル先進国”となった理由として、キャリアが日本メーカーから独自仕様で調達したSIMロック付き端末を、ポストペイ契約回線とセットで安売りするという販売方式が挙げられる。キャリアは代理店に高額な端末販売奨励金(インセンティブ)を支払っても、世界的に見て高額な月々の通信料金から容易に回収することができた。この“日本型販売奨励金モデル”により、半年〜1年程度型落ちのハイエンド端末が、何の縛りもなく、ほぼゼロ円で手に入ったため、「iモード」「EZweb」「J-Sky web」といったキャリア独自仕様のモバイルインターネット端末が急速に普及した。
当時、他の主要先進国では、Nokia、Motorolaなどのグローバル端末メーカーが製造した世界標準(GSM)端末が、キャリアショップだけでなく、ディストリビューターを通じて多様なルートで流通していた。回線はプリペイド契約が主流であり、ユーザーは、端末を奨励金等で安く購入することができない。結果、基本機能(通話+SMS)だけのローエンド〜ミドルレンジ端末が主流となった。
筆者は「NRI Consulting News」2004年1月号において、いわゆる「ゆでガエル論文」を発表し、日本型販売奨励金モデルに警鐘を鳴らした。
キャリア間競争によってARPUは徐々に低下しており、ケータイの普及率も高まっている中で、販売奨励金をたくさん付けて互いにユーザーを取り合っていると、早晩みんな(キャリアも端末メーカーも)ゆで上がって死んじゃうよ、という内容だった。日本と同様の販売モデルだった韓国では、2000年に販売奨励金を廃止し、その結果、キャリアの呪縛から解き放たれたSamsungがグローバルに躍進していることを指摘した。
しかし、市場では2006年4月にソフトバンクがボーダフォンを買収して本格的に参入し、2006年10月からMNPが導入されることもあり、販売奨励金によるキャリア間競争はさらに激化していった。
「日本の端末メーカーはなぜ世界で勝てないのか?」
我が世の春に暗雲が立ち込めるには、さほど時間はかからなかった。総務省が2006年10月に設置した「ICT国際競争力懇談会」の第1回会合において、冒頭、菅義偉総務大臣(当時)から次のような趣旨の発言があったことを鮮明に覚えている。
「モバイル先進国である日本の端末メーカーは、なぜ世界で勝てないのか。ICT産業を自動車産業のようにしたい」
2005年時点で端末メーカーのグローバルシェア1位はNokia(33.5%)、2位はMotorola(18.8%)、3位にSamsung(12.9%)、4位にLG(7.0%)が食い込んでおり、日本メーカーは5位のソニー・エリクソンを含めて当時11社あったが、合計してもシェアは15.4%しかなった。
筆者は「NRI知的資産創造」2006年11月号に、いわゆる「ガラパゴス論文」を寄稿した。“モバイル先進国”と思っていた日本は、実は独自の生態系を築いてしまった“ガラパゴス諸島”なのかを見極める必要がある、という内容だ。この論文が前出の懇談会において、構成員の1人であったKDDI小野寺社長(当時)に取り上げられたことがきっかけで、“ガラパゴス化”という言葉が、通信業界はもとより、あらゆる業界に広がってしまったのは、まさに予想外であった。
「ガラパゴス論文」では、当時、グローバル端末メーカーに採用されていた村田製作所や日東電工などの部品・部材の収益が、日本の端末メーカーの収益にほぼ匹敵する2兆円規模に成長していることを指摘し、日本の部品・部材メーカーを支援することも、わが国のICT国際競争力強化に資するのではないか、と指摘した。
しかし、業界関係者の大半は、端末メーカーや基地局メーカーの完成品としてのグローバルシェアを自動車メーカーのように高めることを、ICT国際競争力強化の分かりやすいゴールとしてイメージした。
SamsungとLGが飛躍できた背景には、1997年のIMF危機があり、国を挙げて外貨を獲得するプレイヤーとして両社を担ぎ上げた。韓国のキャリアはSamsungとLGのために、世界最先端の国内インフラを整備する存在であり、韓国市場はグローバル市場を獲得するためのテストベッド的な位置付けである。この考え方は、5G時代になった今でも変わっていない。
実際、3GでCDMA2000方式を採用し、いち早くインフラを整備した韓国のキャリアは、グローバル市場でCDMA2000が劣勢になると判断した韓国政府から、W-CDMA方式のインフラを二重に整備するよう要請され、それに従っている。
一方、日本には2005年時点で11社の端末メーカーが存在し、担ぎ上げるべきプレイヤーが多すぎた。また、端末メーカーは総務省ではなく、経済産業省の主管であり、キャリア主導で端末メーカーを従える方が、総務省としては居心地がよかったのではないだろうか。
実際、ドコモは2000年初頭、オランダのKPN、英国のハチソン3GUK、米国のAT&Tなどに次々とマイノリティー出資し、iモードを輸出しようとした。端末メーカーも、ドコモ護送船団方式でiモード端末を輸出するというもくろみだったが、全て失敗に終わった。2005年にドコモは完全撤退し、損失額は差し引きで1兆5000億円にのぼった。
世界的なITバブル崩壊という要因もあるが、ドコモが出資したキャリアにおいて、日本型販売インセンティブモデルとキャリア垂直統合モデルによるエコシステムが作れなかった――つまり、iモード対応端末のラインアップを一気に取りそろえ、iモード対応の良質なコンテンツを一気に集めることができなかったことが失敗した理由として挙げられる。
従って、ICT国際競争力懇談会において、日本メーカーのグローバルシェア拡大というゴール設定は、既にキャリア護送船団方式という選択肢も取り得なかった状況において、無理筋であったといえる。その後のiPhoneやAndroidの登場を待たずして、既に勝負はついていた、ということだ。
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