News 2003年10月24日 10:55 PM 更新

「QUALIA」から携帯電話まで、カリスマが語る工業デザインの“堕落”(3/3)


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 超高級なオーディオというのは、少し音を良くするためには家の床を開きコンクリートを流し込みそこにダイレクトにオーディオを置きたい、とまで考える世界です。堅い岩盤の上に家を引っ越したくなるような心持ちの人物がひたる世界です。いわゆる装飾としてのデザインが介在する世界ではない。

 この世界で言う「かっこいい」という言葉は、クレーン車やブルトーザーをみて「すてき」と思える世界観かもしれない。その「音のためにはすべてを犠牲にする」精神から言えば「動作する」部分というのは極力排除するほうが音のためにはいいわけです。「部屋におくクレーン車」は黄色じゃないでしょうね。磨き上げられたステンレスや鈍くひかるアルミ重厚な厚みのあるアクリル。そういう「エンジニアリング」の「メタファー」(その機能を別の形で表現すること)にユーザーはしびれるわけです。

 B&Oの世界観に近いのでしょうが、極限まで整理コントロールされた造形でないと“B&O的なもの”で終わってしまいます。手を近づけるとドアが左右に開くB&Oのシステムは、「自動扉」ではなくてお城に住むお殿様がふすまに近づくとすっと開く「おごそかな儀式」に近いのです。

 QUALIAは、僕がやったらこうやりそうだという、イメージを抱いたからこそああなったのだと思います。ですが、そう考えてしまうことこそが既に過去形です。だって僕が(前出の)Broadband Gateをやるわけですよ、昔の僕があんなのをやるなんて、おかしいでしょ。そこには僕独特の、関西弁的返しがあって、(後出の)PDAもそうですが、僕があんな形をやるわけがないのにやっている。といいつつ“放蕩息子の帰還”じゃないですが、あのかちんとしたワインセラーだったりするわけです。

 いやらしい言い方ですが、僕はちゃんと時代と一緒に寝ているんです。若い女の子とつきあって、自分で勉強して、いまどきの女の子はこういうことが好きなんだな、ということが分かって、でも大切なのはこういうことなんだよ、と言いたいがためにです。そのこと自体に埋没しているわけではなくて、自分を検証するとか、自分の仮説を証明するには今しか手立てがない。

 ただの四角がいいんですよ、ということが分からない人のためにはBroadband Gateのように有機的なものも作りますし、長い時間をかけて手を変え品を変え、やってきている。

 ところがQUALIAは、方法論も何もすべて過去形と言うか、昔の人がすごいと思うようなことになっている。それを今やったって驚かないじゃないですか。ソニーがソニーをまねしているようなものです。

 今オーディオをやれって言われたら、相当なものをデザインしますよ。今は下火になっていますが絶対に無くなる世界ではない。きっと時代が来ます

携帯電話の多くのデザインがださい理由

――現在の電話機のデザインについておっしゃりたいことがあると。

 どうして携帯電話の多くがださいデザインかというと、女性のかわいらしさを表現しようとしているから。女性はその携帯に対して男性をイメージしているかも知れないのに。携帯電話はフランス語で男性名詞でしょう。素敵な男性をイメージするための機械であって、カメラがついていたりとか誰も望んでいない。女性用化粧品だって、多くが結構しゃきっとしているわけですよ。

 手に持つというよりもかばんの中に入れておくわけですから、そんなにアールを取らなくても、十分です。携帯電話のデザインには決定版が出ませんね。海外でも出ていませんし、日本でも出ない。日本のキャリアは、デザイン的に劣っているのにコンテンツが優秀なものだから、あまり海外のデザインを気にしていないですね。

 日本の工業デザインの歴史の中で醜いものはいろいろあります。車とか携帯とかが目立つので叩かれるだけであって、携帯電話だけが醜いとは思っていません。まだ携帯はいいです、華がありますから。

 かわいそうなのが置き電話。もう終わっていると思われている。流行っていないパーティーには行きたくないですよね、そういう機械になりつつある。そこでIP電話の登場なわけです(笑)。

 圧倒的に電話料金が安く、市場がひっくり返るというか住み分けができる可能性がある。インターネットの常時接続が爆発的に普及を始めていますが、インターネットをやるんだったら、その近くにある電話を使いますよね、携帯でなく。

 インターネットは着実に人間の愛欲の部分でもあります。多くの人がレンタルビデオを借りなくなったのはこれのせいだといわれていますよね。それを考えると、インターネット=部屋の中のひそやかなものなわけです。今までは置き電話=家族、といったイメージがあったと思いますが。電話は、どうしてもファミリーなデザインから脱却できていない。

 骨伝導の子機をデザインしたこともありますが、あれは健康器具のイメージで作りました。電動でバイブしますしね(笑)。デザイナーは役者のようなものだと思っています。若い役からおじいちゃんの役もやらないといけない。今考えると、置き電話のデザインにファミリーユースしかなかったのではないか、と思うわけです。


骨伝導を利用した置き電話の子機


PDAのデザイン。TV電話にもなる


近年の電話機の習作


長電話のために穴を開けた超軽量受話器

 デザイン的にどうかと思うキオスク端末とか多いじゃないですか、ああいうのきれいになってほしいですよね。私やりますよ。それから信号機。ひょっとしたらお金にもならないかもしれない。こちらからお金を出してでもやりたいくらいです。信号機に付随しているボックス、あれもやりたいですね。

 公共端末とか信号機、そしてIP電話のように、普遍な存在の勢いに乗って、デザインそのものを変えられる可能性があるな、ということが面白いと思っています。なにせハードウェア自体はその場で持ち帰りですから(笑)、ただ(ではないにせよ)もらえるものほど美しいもののほうがいいのでは、と思っています。恐らくそういう時代は来るはずですよ。


近作の公共物としてはこれ。六本木ヒルズのオフィスフロアと一般エリアを区分けするセキュリティ・ゲート



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