中小企業が頼るべき“羅針盤”
売り上げ変動の理由を見定め、賃金を無理なく上昇させる「マクロデータ」活用法
日本経済は、大きな波に揺さぶられている。長年続いたデフレマインドからの脱却、人手不足とそれに伴う賃金上昇、国際情勢の変化によるサプライチェーンリスク……。中小企業は困難なかじ取りを強いられている。自信を持って経営戦略を進めるためにどのようなデータを活用すればよいのか。マクロ経済のプロフェッショナルであるエコノミスト2人に話を聞いた。
中小企業は、経営や営業の戦略を立案・修正するために、売上高や顧客動向といった「自社データ」を日々分析する。しかし、市場全体の動きを示す「マクロデータ」も同様に把握・分析できている企業は少ない。
「マクロデータは他社に差をつける武器になる」と指摘するのは、マクロ経済・金融政策に詳しいエコノミストの小池理人氏だ。
「マクロデータがあれば、売り上げの増減が自社の施策や営業努力によるものかどうかを客観的に判断できる。売り上げが前年比で10%増加したとしても、市場全体が20%成長しているのであれば市場平均を下回ることになる。逆に、不況で市場が大幅に落ち込んでいるなら、1%の売り上げ増でも優れた成果になる。こうしたデータを把握していれば、マクロデータまで目が届かない競合企業よりも正確な経営判断を下しやすい」
日本経済、特に労働市場や賃金動向を専門に追うエコノミストの星野卓也氏も、マクロデータを通じて自社の立ち位置を見定める価値を指摘する。
「業界が冷え込んでいるのか、地域経済が停滞しているのか、あるいは中小企業というセクター全体が苦戦しているのか。これらの異なるレイヤーの動向を見極めていなければ、間違った判断につながりやすい。自社の立ち位置を相対化して認識することが重要だ」
こうしたマクロデータは、官公庁や民間調査機関などさまざまな組織が個別に公表しており、自社で一から収集・集約して分析するのは負担が大きい。そこでエコノミストの2人が有用なツールとして挙げたのが、東京都の「都内中小企業の景況指標ダッシュボード」だ。
●決済・人流データから「売り上げ変動の理由」をあぶり出す
景況指標ダッシュボードは、都内中小企業の景気動向に関する調査結果を可視化したWebプラットフォームだ。業種別の景況をはじめ毎月勤労統計や消費者物価指数、クレジットカードの決済などのデータを加工しなくても、グラフで市場のトレンドを直感的に把握できる。
これらのデータをどのように実務に落とし込めばよいのか。小池氏がデータ活用の入り口として挙げたのが、自社の売り上げデータと決済データの対比だ。
外食サービス業なら、決済データの「外食」の項目を選択して、その推移と自社の売り上げ推移を比較する。自社の落ち込みが業界全体のトレンドと一致しているならば、市場全体の冷え込みという「外的要因」の影響が強いと考えられる。業界全体が伸びているにもかかわらず自社が落ち込んでいるなら、自社固有の課題があると判断できる。「決済データは業種別に細かく動向がまとまっている。同業種あるいは類似した業種をチェックして、まず自社の立ち位置を把握するとよい」
応用として、隣接する他業種のデータを対比させることも有効だという。小池氏は消費者の行動変容の背景にある「代替関係(需要のシフト)」の把握に役立つと説明する。
「小売業と外食業のデータを掛け合わせると、近年は外食が強い傾向を示している。ここから、共働き世帯の増加やライフスタイルの変化によって『消費者が内食の手間を省いて、外食に予算をシフトさせている』マクロな世帯像が浮かび上がる。利用者がスーパーマーケット経営者で、総菜販売が伸び悩む原因を見つけたいなら、他業種である外食の伸びを確認するとよい。『食全体の予算が削られているのではなく外食へのシフトが起きている』理由が分かるかもしれない。原因がこのように需要のシフトであるならば、総菜の不調に単なる値下げ競争で応じるのは悪手だ。外食に対抗できる付加価値の高い総菜の開発や仕入れ戦略の変更といった選択肢が有望だと見極められる」
もう一つ、利用しやすいのが人流データだ。「スマートフォンの位置情報を基にした定量的なデータであり、これまで定性的な感覚で捉えていた事象を数値化できる点に強みがある」と小池氏は評価する。
人流データは、都内の一部の駅周辺の動向を時間軸に沿って確認できる。ある時期に生じた売り上げの変動が、年末年始などの季節的イベントや台風をはじめとする気象イベントといった外部要因によるものかどうかを判別するための指標になる。「人流データは一部の駅に限られるが、それ以外の駅周辺に拠点があってもベンチマーク(基準値)として活用できる。自社が市場平均以上に勝ち切れていたのかを判断する材料になる」
●物価・賃金データを活用して「やるべきこと」の最適解を導く
中小企業を悩ませる経営課題といえば「人手不足」と「原材料費の高騰」、それに伴う「価格転嫁」の難しさだ。この構造的な課題にも、景況指標ダッシュボードは道しるべになると星野氏は語る。
人手不足が深刻化する中、優秀な人材の採用や既存従業員の引き留めには賃上げが欠かせない。しかし、財務基盤を無視した無理な賃上げは企業の存続を危うくする。星野氏は対策の第一歩として、賃金データから賃金設定の「世間相場を把握する指標」を見定めることを勧める。
「景況指標ダッシュボードは東京都内の中小企業、かつ産業別の賃金動向を確認できる。特に注視したいのが、物価変動の影響を考慮した『実質賃金』の推移だ。名目上の賃金を2%引き上げたとしても、物価が3%上昇していれば従業員の生活水準の悪化は避けられない。この生活実感を無視した賃金設定では、結果として競合他社に人材が流出しかねない。自社の賃金に思わぬギャップが生じていないかをチェックする必要がある」
賃金データは、社内コミュニケーションや労使交渉の場、そして価格転嫁に関わる取引先との交渉で説得力ある根拠にもなる。世間の賃上げ動向を受けて、従業員や労働組合から厳しい要求や不満の声が上がるケースや、逆に賃上げ分の価格転嫁に取引先からの理解を得られないケースは今後増え続けるだろう。「その際に景況指標ダッシュボードなどの公的データを提示して客観的に妥当な賃金水準を可視化できれば、説得力を増すだけでなく現実的な数字ベースで対話を進められる」といった活用法もある。
賃上げを持続可能なものにするためには、上昇した費用を製品やサービスへ適切に上乗せする価格転嫁が必要だ。星野氏は、マクロ環境をデータで可視化して取引先にトレンドを共有することが重要だと説く。
「日本は長らく物価が上がらなかったため、価格上昇が極めてネガティブなニュースとして捉えられやすい。まして原材料費や原油価格の高騰、円安による仕入れ費用の増加などの外的要因ではなく、従業員の賃金上昇となると説得しづらかった。しかし、現在の経済環境はインフレの定着へとシフトしている。取引先に『物価上昇が日常になった』という共通認識を促すために、景況指標ダッシュボードを使って賃金が持続的に上昇しているトレンドを共有するとよいだろう」
賃金データは自社の業種だけでなく、サプライチェーンの上流に当たる業種などの関連業種も価格転嫁の根拠になり得る。自社の業務と関わる消費者物価指数データも、上昇が目立つなら価格転嫁の説得材料になるはずだ。
●データを駆使して、次なる経営戦略に
エコノミストの2人が挙げたデータ活用法では、「ハードデータとソフトデータの掛け合わせ」の視点も興味深い。
これまでも触れた決済や賃金などはハードデータに当たる。対して、ソフトデータに当たるのが中小企業の好景気・不景気の実感を調べた景況データだ。経営者の主観や感覚を集めただけに見えるかもしれないが、「景況データには、経営者が感じている空気の変化がハードデータより迅速に反映される他、『仕入れ単価DIの上昇=市場全体が費用上昇圧力を実感』といった市場の空気感を読み取れるメリットがある」という。
これをハードデータに組み合わせることで、生産動向の上昇にしても企業が増産を一時的なものとみているのか、持続的な好景気と捉えているのか、その背景を読み取れる。
●データ分析の羅針盤となる景況指標ダッシュボード
このように、マクロデータの価値は中小企業の経営・実務にとっても大きいものだ。中でも東京都の景況指標ダッシュボードが有用である理由を、小池氏は次のように語る。
「何より見やすいのがよい。官公庁や自治体が公表している一般的な統計は、膨大なPDFファイルや多数のExcelファイルに小分けされており、ビジネスパーソンがそこから必要な数字を抜き出してグラフ化するには膨大な時間と専門知識が必要になる。景況指標ダッシュボードは指標がすっきりと一覧化されており、数クリックするだけで見たい情報をグラフで確認できる。この見やすさと操作性は、一般的な統計データでは珍しい強みだ。ライセンス費用や利用に際しての申請手続きも要らないので、費用とスピードの両面からも中小企業が使いやすいツールだと感じている」
星野氏は、バイアスの少なさと危機においての有用性を評価する。
「景況指標ダッシュボードはバイアスやサンプルの偏りが少なく、ニュートラルでありつつ見やすい。こうした確かなデータの所在を把握することは、コロナ禍や中東情勢といった経済にショックを与える事態への備えにもなる。今の変化で市場にどのような影響が出ているのかを判断するために、いざというときに頼れるデータの存在は経営にとってプラスになると思う」
自社データによるミクロの視点にとどまらず、景況指標ダッシュボードを羅針盤として活用する。その掛け算のプロセスによって、インフレや人手不足という荒波を乗りこなし、持続的な成長にかじを切れる。景況指標ダッシュボードにアクセスして自社に関連する指標をクリックすることから、データ経営の第一歩を踏み出してはいかがだろうか。
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