いま、あらゆる分野でテクノロジーが目覚ましい進歩を遂げている。その最前線の一つが医療分野だ。インターネット環境と専用ロボットがあれば遠隔で手術できるようになった。診療データや遺伝子情報を蓄積して研究に活用する動きもある。
こうした医療分野で期待を集めるのが、人工知能(AI)だ。医療現場でのAI活用は映画やTVドラマの中の話ではなく、現場で働く医師たちから期待の声が上がっている。一方で患者の中には「AIに診断を任せるのか」「判断を誤らないか」などAIに不安感を覚える人もいるだろう。果たしてAIは日本の医療現場と患者を救う存在になるのか。
「AIはまるで勉強熱心で優秀な研修医です。そんな“AIさん”は十分に医師をサポートしてくれるでしょう」――こう話すのは、CTやMRIなどの画像診断を使って心疾患の早期発見に取り組む寺島正浩医師(医療法人社団CVIC 理事長/心臓画像クリニック飯田橋)だ。
心臓の画像診断について米スタンフォード大学で約7年半に渡り研究を続け、現在は画像診断へのAI活用に取り組む寺島医師に、医療現場におけるAI活用の現状と今後の可能性を聞いた。
寺島医師が率いる医療法人社団CVIC(東京都新宿区)は、心疾患の画像診断に特化した画像診断クリニックを複数運営している。心臓を中心とした循環器系の検査に特化しており、世界的にも珍しい。寺島医師が勤める心臓画像クリニック飯田橋では、一カ月に平均280件以上の心臓MRI検査を行う。これは国内の総検査数の約10%に当たるという。
一人でも多くの患者に最新かつ最良の心臓画像診断を届けたい、そんな思いで寺島医師はCVICを立ち上げた。しかし、何も特別な医療機器を導入しているわけではない。一般的な病院も使っている機器を、多少カスタマイズした程度だ。
「重要なのは、特別な機器をそろえることではなく、画像から得た情報を基に素早く正確に診断する医師のスキルとそれを患者に伝えるための“ハート”です。私たちは、心臓の画像診断に特化することで専門知識と経験を蓄積し、迅速で高精度な診断を実現しています。そして、ここにAIのパワーを注入することで、さらなる心臓画像診断の進化を期待しています」(寺島医師)
寺島医師は2009年にCVICを設立してからずっと、診断のスピードアップや精度向上にAIを役立てようと研究を続けてきた。現時点では満足できるレベルには達していないものの、強い手応えを感じている。そんなAIへの期待を垣間見られる表現が「AIは勉強熱心な研修医」だった。
「睡眠も休暇も取らずに24時間365日ずっと学習できるので、このAIさんは何年かたてばとても賢くさらに成長しているでしょう。そして、さまざまなデータから患者の様子を観察して『ここが怪しいです』と指摘し、私たちのような人間の医師が最終的な診断を下すサポートをしてくれるはずです」(寺島医師)
そもそも心臓の画像診断では、まずCTやMRIで心臓のスライス画像(断面の画像)を約6〜700枚撮影する。その画像を基に心臓を3Dモデル化して、血管の状態や、狭窄(きょうさく)や拡張(動脈瘤や静脈瘤)の有無を確認する。全工程を終えるのに1人当たり約1時間半かかるが、AIを使って効率化すれば時間を最大で2分の1に短縮できると寺島医師は予想している。
心臓の画像診断において、AIの活用で煩雑な作業の効率化を見込むのが「トレース作業」の支援だ。心臓は筋肉を収縮させて血液を全身に送っているため、心臓が膨らんだときと縮んだときの差分を見れば、送り出す血液の量(ボリューム)を測れる。画像検査では心臓のサイズを人がトレースし(輪郭をなぞって写し取ること)、最大と最小サイズを求めてボリュームを計算していた。ここにAIを投入すれば、作業工程の大部分を自動化できる。
この他にも、血管の画像を解析して狭窄や拡張といった心疾患の兆候を見つけたり、心臓内の血流をシミュレーションして乱流などの異常を見つけたりと、AIで実現できる可能性のある作業は多い。
医師の作業負担を減らすAIの開発は着実に進んでいる。画像診断AIの場合は、過去に撮影した画像データや診断結果を学習して精度を高めている最中だ。人がトレースする様子やその結果をAIに学習させる、医師が見つけた狭窄や拡張の情報を基に疾患の特徴を明らかにする、画像の中から血管を認識してつなぎ合わせて3Dモデルを生成できるよう指示するといった方法で開発を続けている。
現状では、CTやMRIの画像を基に3Dモデルを作って血管を再現する精度はかなり高まった。しかし、その血管から正確に疾患を見つけるレベルには至っていないと寺島医師は評価する。学会で発表できても、臨床試験など現場で使うのはもう少し先の話だ。
精度面の他にも、実用化を阻む壁が多い。AIの開発段階では、大量のデータを与えて精度を高めようにも、個人情報保護の観点から学習に使えるデータは限られてしまう。技術的に実用段階まで進んでも、厚生労働省などの認可が必要になるため、即座に現場投入できない。
医療現場でのAI活用は、人の生死に関わる重要な意思決定につながるケースも想定できるため、中途半端な完成度のAIやシステムを導入することはない。精度や安全性を検証した上での実用化が医師にとっても患者にとっても重要になる。
AIの精度や安全性を高めていくとはいえ、「AIに医療を担わせていいのか」という議論は当然生まれる。この点は実際どうなのか。
まず医療業界全体では、医療現場にAIやICTの活用が重要だという認識を共有していると寺島医師は話す。特に大量の画像やデータを確認する循環器科の医師はAI活用を歓迎している。データの整理や画像解析にかかる時間を短縮すれば、患者への説明や自身の勉強に時間を割けるので、好意的だ。
AI活用のメリットは、患者も享受できる。医師の作業時間を減らして診察時間に当てれば、よりハートフルで綿密なコミュニケーションが提供可能になる。検査時間が短くなれば診断結果を早く受け取れるため、病院の待合室で延々と待つこともない。将来的には、多くの症例を学習したAIで医師を支援すれば診断の精度も上がると寺島医師は考えている。
さまざまなメリットがあっても「やっぱりAIに任せるのは心配」と考える人もいる。「そうした心配を抱く患者さんは一定数いると思います。しかしAIは裏方で医師を支援するもので、まだ表舞台に出てくるものではありません。診察やコミュニケーションは引き続き医師が担当しますし、いくらAIが賢くなっても最終的な診断を下し、その結果を患者に合わせて伝えるのは医師の役目なので、AIで代行することはまだまだあり得ません」(寺島医師)
心臓画像診断のようなAIの現場投入はまだ先だが、すでに現場で活躍しているAIもある。例えばAIチャットbotを問診に導入するケースでは、診察前の問診を自動化することで医師の手間を省ける。さらに、患者に確認すべき問診内容を事前にチェックして診察に生かせる。
また、患者の症状や検査結果をデータベースに入力すると、過去の症例や文献から診断や治療の参考になる情報を選別して表示するシステムにAIを活用している例もある。
心臓の画像診断より難易度が低い肺の検査では、700枚近いCT画像をAIでチェックして疾患の疑いがないか調べるシステムの開発が海外で進んでおり、既に実用性の高いものが登場している。
日本でも内閣府が進めている高度な診断・治療システムの開発プロジェクト「AIホスピタル」で、AIの活用を掲げている。「こうしたAIやICTを医療現場のさまざまな場面で活用することで、高度な診断の実現や患者さんの利便性向上を目指しています」(寺島医師)
AIに大きな期待を寄せる寺島医師に、理想のAIサービスを聞くと「正常を判定するAI」がほしいと話した。心臓画像クリニック飯田橋では1日に約40〜50人の心臓画像診断を実施しており、そのうち約7割は正常で、残り約3割の人に何らかの疾患がある。つまり、AIで7割の人が正常だと見抜ければ、医師は残り3割の診断に集中できる。
「AIが正常な人をきちんと正常と判定してくれると、診断する医師はとても助かります。病気を見つけるAIの開発は素晴らしいけど難しい――そうであれば、発想を転換して、正常であると判定できるAIを作れば、現場で役立つAIの開発が現実的になると考えています」(寺島医師)
AIで疾患や異常を見つけるのではなく、AIは「正常でない」と判定する役目に徹して、そこから先は医師が詳しく診断する仕組みは十分あり得る話だ。こうした発想によってAIの開発が簡単になれば、きっとこれまで以上に現場の課題を解決して、医師の負担を軽減するAIが出てくるだろう。
「今後も優秀な“AI研修医”はどんどん登場すると思います。私たち医師は、AIに学習させるべき正しい方向をきちんと示すことが重要です。賢く育ったAI研修医は私たちに役立つ存在になるでしょう。その時には、医師がやるべき仕事も変わっていることでしょう。AIの進化が楽しみです」(寺島医師)
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