第4章-3 機械で心を作るには 「哲学的ゾンビ」と意識:人とロボットの秘密(3/3 ページ)
「人間の心もロボットの心も変わらない」と前野教授は話すが、それは決して、ニヒルな考え方ではない。
「受動意識仮説」に近いモデルを考える人ならばいる。たとえばアメリカの神経科学者V・S・ラマチャンドランは、人間が物を見る際、余分な情報は処分してしまい、そして逆に足りない情報は補完して、約30もの視覚野で並列処理を行っていること、しかもそれが無意識のうちに行われていることを踏まえて「意識は全体の仕組みに無関係だということにならないだろうか?」と問いかける(『脳のなかの幽霊』山下篤子訳 1999年)。
しかしその直後に、論理的に可能だからといって、実際に可能であると考えるのは錯誤であると否定してしまう。
同じアメリカの神経学者、アントニオ・R・ダマシオは「情動」と「感情」という、同じような意味で使われることが多い概念を、「情動=身体に現れる測定可能な現象」「感情=測定不可能な心理的な現象」と分類。
そのうえで進化的には情動が感情よりはるかに先に発生したことを指摘する(なにしろ単細胞生物ですら情動の萌芽は観察される)。
それゆえに、一般的には感情がまず起こって、つぎに情動という体の反応が生まれると考えられがちであるが、実は逆であると説いている。つまり悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだという。
しかしダマシオにしても、「意識が人間の行動にある程度影響を与えることはできる」という立場をとっている。
そもそも、無意識が意識に先行していることを明らかにしたリベットからして、「意識は無意識の衝動を拒否することができる」と、自由な意識の存在を留保しているのだ。
人間の持つ豊かな可能性
こうした意識モデルの背後には、自由な意識を否定することは、人間性を否定することに等しい、という価値観があるのだろうと思う。特に欧米では自由な意思を否定することは受け入れがたいようだ。
人間の自由意思を否定したスピノザは、当時のヨーロッパ世界で徹底的な批判を浴びせられた。スピノザの「ベネディクトゥス」という名前は「祝福された」という意味だが、祝福されるどころか哲学史上これほど人々から批判された人も珍しい、と言えるほどだ。
「人間の自由な意思などない」と断言したように見えたのだから無理はなかったとも思えるのだが、当時はスピノザの批判者ですら、“まだ批判が足りない”と批判されるほどの不人気ぶりだった。
しかしスピノザは人間性を否定したわけでも、ニヒリズムに陥っていたわけでもなかった。彼は主著『エチカ』で、神様を国の王様と同じようなイメージで考えてはいけない、と説いている。つまり白いヒゲをはやした立派な人物が、自分の領地を統治するように世界を見守っているというイメージでいいわけがないと言うのだ。
神イコールすなわち自然そのものであり、人間の意識のスケールで考えるのは間違いである。自然は「その本性のありのままにあり、その本性のありのままに生成し、流転していく」のである。そこには善も悪もない。
ひるがえってスピノザは人間も同じようなモデルで説明する。従来の人間を特別な存在だと見なす人間観を、「人間が自然の秩序の外にあると考えているようだ」としりぞけ、自然と共通する原理に目を向ける。
そして人間を運営する自然のダイナミズムへの信頼を語ったのだ。だから本当は自由意思を否定しているわけではなかった。肉体に対する心が人間を司っているのではない。心も体も同じものの異なる表現でしかなく、自分の身体の営みと、世界との相互作用のすべてが自分の意思であると指摘していたのである。
前野教授の「受動意識仮説」も、「自分が感じている意識は幻想だ」と説き、ロボットの意識も人間の心も変わらないというのだから、一見、とてもニヒルなように感じられるかもしれない。
しかしそうではない。むしろロボットの心も人間と同じだと指摘することで、より豊かな世界が実現する可能性に目を向けるのである。
教授は研究を通して人間の脳の持つダイナミズムに驚嘆したという。我々が持つ脳は、みんなすごい潜在能力を持っている。しかし誰もが使いきっていない。みんなもっともっといろんなことをやれるはずだ、と。
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