UMAからの脱却 そしてNUMAに入る:“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(1/4 ページ)
PCの源流から辿っていく連載の第22回は、メモリアーキテクチャについて。
昔ながらのIBM PC、PC/AT互換機からDOS/Vマシン、さらにはArmベースのWindows PC、M1 Mac、そしてラズパイまでがPCと呼ばれている昨今。その源流から辿っていく第22回はUMAからNUMAへの移行について。
- 第1回:“PC”の定義は何か まずはIBM PC登場以前のお話から
- 第2回:「IBM PC」がやってきた エストリッジ、シュタゲ、そして互換機の台頭
- 第3回:PCから“IBM”が外れるまで 「IBM PC」からただの「PC」へ
- 第4回:EISAの出現とISAバスの確立 PC標準化への道
- 第5回:VL-Bus登場前夜 GUIの要求と高精細ビデオカードの台頭
- 第6回:VL-BusとPnP ISA PCの仕様をMicrosoftとIntelが決める時代、始まる
- 第7回:Intelが生み出したさまざまなPC標準規格 Microsoftとの協力と対立
- 第8回:USBが誕生したのは「奥さんのプリンタをつなげる手間にキレたから」 USBの設計当時を振り返る
- 第9回:Modern PCの礎、PCIはどう生まれ、いかに成立していったか
- 第10回:PCのスケーラビリティを決定付けた超重要コンポーネント、地味にスゴイ「APIC」の登場
- 第11回:ラップトップPCのための基礎技術が生まれるまでの紆余曲折
- 第12回:PC互換機はIntelだけではない ジョブズのいないAppleが進めたPRePとCHRP
- 第13回:Intelがメモリ標準化で主導権を失うに至った“やらかし”について
- 第14回:Intelのさらなる“やらかし”と、Intelが主導するPCアーキテクチャの終わり
- 第15回:カセットからフロッピー、そしてハードディスクを制御するSASI、SCSI、IDE、ATA、SATA――さまよえるストレージ用インタフェース標準を語る
- 第16回:BIOSからUEFIへ BIOSはなぜ終わらなければならなかったのか
- 第17回:もうPCIでは遅すぎる さらなる高速化目指すPCはPCI Expressへ
- 第18回:PCはネットワーク接続できて当然」になったのはいつから?
- 第19回:PCの在り方をMicrosoftとIntelが規定した時代 PC 9x/200x System Design Guideとは何だったのか
- 第20回:64bitへの移行に20年を要したIntelの挫折 Itaniumの大失敗とOpteronへの敗北
- 第21回:チップセットの誕生と隆盛、そして消滅へ
前回、チップセットの終焉について述べたが、チップセットの中でも特にNorth Bridge機能がCPU側に統合されたことで、もう1つ変わった事柄がある。それはUMA(Uniform Memory Architecture)からの脱却である。
脱却、という言い方は厳密には正しくないかもしれない。というのは現在もSingle Processor構成では事実上UMAだからだが、NUMAを意識したUMAに実装が切り替わっている、と結論を先に書いても分からないと思うのでまず基本から。
オリジナルのIBM PCから、2003年にAMDがOpteronをリリースするまでの間、PCの世界では「基本的に」UMAが採用されていた。
「基本的に」と言うからには例外はあるのだが、それは後述するとして、UMAとは何かと言えば、端的には「メモリ管理が一か所で行われている」ことである。
図1は一番シンプルな1 CPUの構成である。
CPUの上でProcess A〜Cの3つのプロセスが稼働しており、それぞれMemory A〜Cの領域を占有している。まぁ、これはごく普通のことだ。UMAというのは要するに、メモリが1つの塊になっているという意味である。
ではこれがマルチプロセッサになるとどうか? というのが図2の構成だ。
Process AとBはCPU1で、Process CはCPU2でそれぞれ稼働している訳だが、メモリそのものはNorth Bridgeに接続されたMemory A〜Cをそれぞれ利用する形になる。
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