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AIは“学ぶ友”になれるのか? 学校でのAI活用、先生を育てる教育学部の先生に聞いてみた小寺信良のIT大作戦(3/3 ページ)

AIを活用した子供向けの教育としては、すでに学習塾や通信教育を中心に展開が始まっている。同じ事を何度聞いても腹を立てない、学習の進捗を個別具体的に把握してくれるなど、人間の先生ではカバーできない部分を担うものとして、注目が集まっている。

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「教育AI」の未来像

――今社会的には、小中学生が宿題をAIにやらせるだとか、大学生のレポートでも同様の問題が起こっているわけですけど、 もっと前向きな視点でこれらの問題は解決できるでしょうか

中村:やはり大学の教員の間でも、学生がレポートにAIを使ってくるのではないかということを危惧しておりまして、実際にもう使ってきたという事例が多発しています。 そういった中で、やはり生成AIの正しい使い方について学生にも研修をする必要があるのではないか、禁止するのではなく生成AIを活用して、より高いパフォーマンスを発揮することを求めるべきではないかという話になってきています。

 ただし現状大学として何かそういう取り組みができているというわけではなく、個人の先生方の講義の中で教えていただくということにとどまっています。なかなか全学的な取り組みとしてはまだ広まっていないというのが実態かなというふうに思います。

 ここの中学校では、生成AIを導入するにあたって、教員にも研修をしましたし、生徒にも研修をして、正しい使い方というのを指導した上で導入していますので、そういったところにはやはり時間を割く必要があるんだろうなと思います。

――旧来の学習のやり方って、例えば紙の資料を図書館で調べて、先人の考えを借りて学んでいくっていうことだと思うんですけど、学んでいく相手がAIになっていくと、自分の考えの中にAIの知識が混じっていってしまうというのは、ある意味仕方がないことなんじゃないかと思うんですよね。教育学という立ち位置からは、それはどのように解釈されているんでしょうか

中村:最近の研究でも生成AIを使いこなしてる人ほど、どこまでが自分の考えでどこからがAIの考えだったのかが分からなくなって、そのまま自分の意見として話してしまっているという指摘がされています。それは適切に引用を示す、ここからここまでは生成AIに考えてもらったのを直接引用している、ここからは自分の考え、あるいは混ざってるとこに関しても生成AIに基づいて自分はこう考えたというのが、正しく識別できるように示す。これがこれからの1つのリテラシーとして求められているのではないか思います。

――なるほど。大学のレポートって引用の要件が厳しくて、例えば書籍だったら何年出版の第何版のみたいなところまでできちっと明示して、後から調べる人が同じところにたどり着けるように、引用点をがっちり固定しないといけないのが作法だと思うんですが、生成AIを引用するっていうことは難しいですよね。その時のバージョンを書いても、同じ質問をして同じ答えが出るとは限らない。そこはどう解釈すべきなんでしょうか

中村:そこはやはり、法律が追い付いてない部分もあると考えています。生成AIに関して著作権がない、著作物として認められないということは言われているわけですが、じゃあそれを引用するとなった時に自分が書いたかのように使っていいのかというのは、また別問題です。「引用」とは著作権上で定義された権利制限の1つですから、そこはやっぱり法律を見直していただかないと、教育者としても難しいところはあると思うんです。

 一方で、AIが考えたものを自分で考えたかのように誤認させるというのは、倫理的な問題があります。そこを正しく示すというところに関しては、指導が必要だろうと思います。

――教科というところでは、先生方が取り組んでおられる理科や技術は比較的AIと親和性が高いかなと思いますけど、例えば文系の、国語とか社会の先生の反応っていかがですか?

中村:様子見というのが正直なところですね。そもそも生成AIをどうやって授業で使ったらいいか分からないとか、使ったことないという先生方も結構多いので、まずは自分で使ってみてどういうものなのかってのを分かった上で、じゃあどういう風に使えるかってことを考えていくステップで進めていきたいなと思っています。ただ強制的には進められないで、何らかの形での合意形成が必要になってくるかなと思います。


 筆者はこれまで、子供がインターネットを使う事の是非や、デジタル教科書の議論、GIGAスクール構想の効果などをウォッチしてきた。だがそれらの問題が是非論であったのに対し、教育とAIに関しては使わせるか使わせないかの問題ではなく、最終的には使わざるを得ない方向で動いているように見える。

 例えばGIGAスクールによる1人1台端末は、次の更新時にはCopilot+PCが導入される可能性もあるわけだ。そうなればもはや使わざるを得ない……というか、どこからがAIの機能なのか、使ったことを自覚できない状況にもなり得る。

 現在の生成AIの進化と社会への浸透のスピード感を見ていると、そうした一歩先を見据えた学校教育の在り方は、少なくともあと1〜2年の間に確立する必要がある。

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