コラム

「アンタに電話した方が楽だし」  約75年続いたアキバの“極小書店”とWeb化20周年を迎えた「PC USER」との接点(1/2 ページ)

2025年12月、秋葉原ラジオセンターで約75年の歴史を刻んだ「萬世書房」が静かに幕を下ろした。名物店主との思い出と共に、雑誌からWebへと姿を変えて20周年を迎えた「PC USER」との接点とは?

 2025年12月、東京都千代田区外神田の「秋葉原ラジオセンター」1階にある小さな書店が閉店した。約75年におよぶ営業期間だった。


12月21日に閉店した「萬世書房」(万世書房)。秋葉原ラジオセンターの1階にある、約1坪という極小の書店だった。取り扱いは、オーディオ用雑誌書籍/理工学書/PC関係/ハム関係と、これまでの歴史と立地を雄弁に語る

メイドもインバウンドもいなかった頃の秋葉原

 話は、まだ「Hello!PC」(後のPC USER)という雑誌が存在していなかった、1994年の春先に戻る。

 とある出版社で社内初の販売部員として新卒採用された筆者は、当時の営業部長が1人で抱えていた仕事を、1つ1つ引っぺがして小出しに託される形で延々と続く業務をこなしつつ、あたふたと1日を過ごしていた。

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 業務内容はトーハンや日本出版販売(日販)、大阪屋/栗田出版販売(いずれも現楽天ブックスネットワーク)、大洋社といった取次での部決や返品対応、定期購読者への発送作業、バイト要員の採用と育成、そして書店調査や書店営業と多岐に及んだ。

 書店調査とは、文字通り書店に足を運んで取次からの入荷数を教えてもらい、店頭在庫から引き算をして実売部数を数えたり、書店員から売れ筋の動向や担当している雑誌の調子などを聞いたりして、社内でフィードバックするというものだ。当時は東京近郊をいくつかのブロックに分けて、1日かけてその地区の書店を訪ね歩いた。

 当然、秋葉原もその中に含まれ、冒頭で触れた萬世書房との付き合いも程なく始まった。記憶が定かではないが、最初は上司と共にお店を訪れてあいさつをしたはずだ。何せ、無線関連の雑誌やムックを扱っていた会社にとって、萬世書房は大のお得意先でもあったのだから。

 当時の秋葉原は、PC-98シリーズの一強時代が終わりを告げ、DOS/V機がまさに席巻する直前というような時期でもあり、家電中心の電気街から、PC中心の電脳街へと移る過渡期でもあった(もちろん、インバウンドのみなさんやメイドさんの姿は影も形もない)。

 それでも、もともと狭い通路に露天がひしめき合うような形で凝縮されていた秋葉原ラジオセンターは、まだ第二次大戦後のラジオブームやその後のオーディオ/アマチュア無線の隆盛を肌で感じさせる店舗がそこかしこに残っていた。


総武線の高架下にある秋葉原ラジオセンターは1951年2月にオープンし、今でも周囲は多くの人通りでにぎわっている(アイコムの看板下に入口がある)

 つまり、今でいう推し/オタク向けの雑誌が安定して売れるわけで、会社には萬世書房から定期的に電話がかかってくる。「●●の8月号と別冊を持ってきて」「○○の去年の3月号ある? お客さんに頼まれちゃって」というあんばいだ。

 本来は取次を通すのがベターなのだが、「アンタ近いんだから持ってきてよ」というお得意さまの声にはあらがえない。営業車を繰り出して10分ほどの秋葉原に向かうことになる。

 萬世書房のおばちゃん(と、社内では呼ばれていた)に本を届けると、「新卒なんだって。若いねぇ」と何かと声をかけてくれるのはいいのだが、憎まれ口がほとんどだ。

 あまりに頻度が多かった際には「神保町までチャリでスグなんだから、自分で持ってきてくださいよ(本を仕入れる問屋は神保町にあった)」と伝えると、「だってアンタに電話した方が楽だし、自転車で行くのは面倒だし。アンタはそれが仕事なんだからいいじゃない」というような展開だ。

 しかし、今なら分かる。

 1人で店番をしていると話し相手が少ないのだ。取引先の若造でもいいから、おしゃべりをしたくなる。あるときは別の人が店番(当時は姉妹と聞いていたが、ウラは取っていない)をしていたときもあったが、基本は1人で店番だ。

 こちらも仕事を覚えていくと、どうせ配本するなら近所にまとめてということで「東京ラジオデパート」内にある電波堂書店(2012年に閉店)のマダム(と当時は言っていた)や、程なくしてオープンしたばかりの「書泉ブックタワー」などに「これから近くに行くので必要な本とかあります?」と連絡(もちろん電話でだ)していたのも懐かしい。

 そんな付き合いが3年ほど続き、筆者は長期休暇中に何の気なしに受けた別の出版社で、編集職として転職することになった。営業時代は、部長や社長に向けて大学ノートに毎日日報を書いて提出しないと帰宅できないという謎の業務があり、実家の倉庫を掘り返してそのときの記述を改めて振り返ってみた。

 内容を見て驚くのは、頻繁に秋葉原へ出向いていたことと、萬世書房のコメントという形で納品した本の売れ行きや他社の状況、街のアレコレを伝えてもらっていたことだ。


今でも手元にある日報。約3年で7冊に及んだ。メモ書きには全て「萬世書房」とあるので、どこかのタイミングで通称を「万世書房」に切り替えたのだろう。いや、画数が少ない方が楽だから、昔から万世書房だったのかもしれない
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