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ホノルルマラソンへの道:“見に行くだけ”も楽じゃない 「東京マラソン」応援記 (1/2)

E記者が東京マラソンに出場した。我々もE記者の姿を追って、東京のあちこちを必死に飛び回った。E記者が走りながら撮影した東京の名所も必見!

 2009年3月22日――。ついにこの日がやってきた。

 以前ご紹介した通り(→「倍率7.5倍の東京マラソン、当選者はだれだ?」参照)、E記者が東京マラソン2009(42.195キロ)に当選した。筆者が巻き込んだ形で応募したため、当選の知らせにもろ手を挙げて喜んでいるという感じではなかった……。あれから約4カ月。果たしてE記者のモチベーションは(端から見る限り)上がっているようには思えない。

 本人をよそに編集部は盛り上がっていた。迫り来る大会を前にこっそり作戦会議を開いて、それぞれが応援するポイントを決めた。

応援ポイント 担当
新宿(スタート地点) 筆者(H)
靖国通り(5キロ付近) M記者
日比谷・内幸町(10キロ付近) K記者、筆者(H)
日比谷・内幸町(20キロ付近) K記者
浅草(28キロ付近) 筆者(H)
築地(35キロ付近) M記者
東京ビッグサイト(ゴール地点) M記者、筆者(H)

 そしてコースを印刷したり、ゼッケン番号でランナーの位置を検索できる特設サイト(ランナーアップデート)をPC・ケータイにブックマークしておくなど、各自が万全の体制を整えていた。


photo 2009年3月22日、新宿・都庁前

 大会当日の空には、あいにく厚い雲が広がっていた。スタートの40分前には、スタート地点の新宿・都庁前に到着したたが、沿道にはすでに家族や友人の勇姿を一目見ようと、たくさんの人がスタンバイしていた。

 後れを取った……。しかしここは、なんとしてもベストポジションを確保しなければならない。珍しく(?)記者根性を見せ、壁によじ登り……服を汚しながら……、ようやく撮影場所をゲットしたのだった。

photo スタート直後。3万5000人の参加者と沿道で応援する人でごった返す

 午前9時10分に予定通りスタートしたものの、参加者が約3万5000人もいるとスタート地点までたどり着くのもやっとといった感じだ。ゼッケン番号の頭に記されているA〜Kのアルファベット順にスタートするため、アルファベットが後になればなるほど、各関門までの制限時間が短くなってしまう。E記者のスタート位置は「J」。はるか後方からのスタートだ。後から聞いた話では、E記者の場合スタート地点に行くだけで17分かかったそうだ。


 こんな群衆の中からE記者を探せそうにない。そうあきらめかけたころ、「H」や「I」のゼッケンが見えてきた。事前に赤のウエアを着用しているとの連絡があったので、とりあえず赤のウエアを着た人ばかり必死で探してみたものの、同じようなウエアの人がたくさんいてどんどん目が疲れてきた。

photo E記者を発見!

 しかし、奇跡的にE記者を発見! カメラでもE記者の後ろ姿をとらえた。撮影場所から離れていたので声はかけられなかったが、これでひとまず面目躍如(ということにしておく)。靖国通りで待つM記者へ連絡した後、筆者もすぐに日比谷を目指した。

 筆者が次に訪れたのは日比谷・内幸町付近。すでに場所を陣取っていたK記者に合流した。10分経過……20分経過……。なかなかE記者は現れない。5キロの関門もなかなか表示されず……まさか5キロでリタイアか? かなり心配になったきた。


 仮装しながら走る人や、後ろ向きに走る人、水着で走るお姉さん。みんなガンバレ……。ほかのランナーを応援しながら待つこと30分強。ついにE記者が現れた。呼びかけると笑顔で敬礼をして見せた。まだまだ元気のようである。

 10キロ関門の反対車線にある20キロ関門付近をK記者にまかせ、筆者は浅草へと急いだ。20キロではK記者がE記者を確実に捕捉。ペースは落ちたがまだ余裕がありそうとの報告もあった。

photo 靖国通りのM記者もカメラで(人と人の間……)E記者を確認することができた。「こんな状況で彼を発見できたなんて“愛”よね」(M記者談)
photo 日比谷付近先頭集団
photo 内幸町交差点付近のE記者。笑顔を見せるなど余裕の表情

photo 10キロ走フィニッシュ地点
photo 10キロ関門閉鎖
photo 残念ながら15キロ地点では大勢の観客と車線の多さに見つけることができなかったが、20キロでもK記者がE記者をとらえた。雑談に花が咲く?

photo 浅草・雷門の前はすごい人出だった。沿道の人の中には「あれ? さっきも見たような」という人もいる。考えることはみんな一緒だ

 予想通り、浅草は観光客と合わさってすごい人出だった。ここでE記者を見つけることは難しそうだ。待ち伏せした場所を知らせてなかったことを悔やむ。ほかのランナーは事前に各人とどこのポイントで待っているのかを決めていたり、逐一ケータイで連絡を取り合うなどして、ランナーに沿道よりに走ってもらいスムーズに会うことができていたようだ。筆者は仕方なく、ここでの応援は早々に断念し、急きょ混雑の少なそうな茅場町(30キロすぎ)に場所を変更してみた。

 ランナーアップデートをチェックすると、25キロ地点では、かなりペースダウンした様子のE記者。20キロから25キロまでのラップタイムは約45分と、10キロ地点よりも約10分ペースダウンしていた。茅場町で1時間半ほど待ったころ、E記者の姿が見えた。「もう足が動きません」とコメントしながらもなぜかうれしそうなE記者。ランナーズハイなのか?

photophoto 築地では三度M記者が待ち構える。編集部のみならずデザイナーのGさんも応援に駆けつけていた。E記者は「もう30キロも走ったの?」という沿道からの応援が一番うれしかったとか。応援の言葉1つで選手のやる気も変わるようだ

 筆者はゴールの東京ビッグサイトへ猛ダッシュ。途中晴れ間も見せたこの大会だったが、ゴールが大雨……という最悪の事態になっていた。応援する側も雨に打たれ、体温が奪われていく。もし自分がランナーだったら完走できていたかは分からない。

photo ゴール直前のE記者

 E記者がいよいよゴールへ向かってきた。M記者とともに見守る中、E記者は6時間11分34秒(※参考タイム)で見事完走を果たした。応援席からはゴールの瞬間を見ることはできなかったが、後にゴールの様子を動画で見てみると、フィニッシュの様子を自らデジカメで撮影している。なんだ……全然余裕じゃないか。

 なお、参加者3万4971人のうち3万3916人が完走し、悪天候にもかかわらず完走率は前年度と同じく97.0%に達した。

photo E記者の参考タイム

 終盤に近づき、一部で潤沢に用意されていた水や食べ物も配布が終わってしまったり、大粒の雨が降り始めるなどのハプニングがあったものの、大きな混乱もなく無事大会は終了し、笑顔でゴールする人を多く見かけることができた。ランナーはもちろん、救護などランナーを最後までしっかりサポートしたボランティアの方々、応援に駆けつけたみなさん、本当にお疲れさまでした。

 ちなみに応援で5カ所を回った筆者の歩数は1万6657歩だった(生活リズム計で計測)。計測した中で2番目の歩数を記録している。応援も楽じゃないということに気付いた。そして食事もまったくとらずにこれだけ歩けばやせてるはず! と期待していたが、逆に体重が増えていたというオチがついたのだった。

photo ゴール後もらった完走メダルとともに1枚。本当にうれしそうだ。先にフルマラソン完走を果たされ、若干悔しい
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