“我が子を食うサトゥルヌス”という問題:神尾寿の時事日想
現体制で支配的な勢力が、新しく生まれてくる勢力をつぶしてしまう──そんな事態が、携帯ポータブルオーディオの世界だけでなく、“通信と放送の融合”の世界でも起こっている。
昨日、コラム「音楽ケータイはiPodの死角を突けるか」が前後編で掲載された(前編/後編)。この原稿を書きながら、筆者の頭から離れなかったのが、ゴヤの「我が子を食うサトゥルヌス」のイメージである。
サトゥルヌスは父殺しをして宇宙の支配者になるが、その父ウラノスが末期に「お前は自分の子供に王座を奪われる」と予言する。その後、サトゥルヌスは予言を恐れて、生まれてくる自らの子どもを次々と食う、というギリシャ神話を描いたものだ。
結局、サトゥルヌスは妻レアに裏切られて、我が子ゼウスをクレタ島に逃がされてしまう。その後、ウラノスの予言通り、サトゥルヌスはゼウスによって殺される。
ITビジネスの世界でも、「我が子を食うサトゥルヌス」は現れる。前回の記事で言えばMDだ。支配的になったテクノロジーやビジネスモデルが、その後に生まれてくる新たな技術・ビジネスの可能性を殺す。この世界ではよくある話であり、もっと広い範囲では、経済、政治の世界でも“サトゥルヌス化”というべき現象は容易に起こる。最近、話題の「通信と放送の融合」でも、肥大化した地上波放送局のビジネスモデルがサトゥルヌス化し、新ビジネスの可能性を殺してしまっている。
テクノロジー系の企業にサトゥルヌスが生まれることは問題ではない。宇宙の支配=市場の支配は、ビジネス的な目的と合致する。重要なのは、サトゥルヌスが「我が子を食う」状況にしてはならないということだ。市場で支配的になった技術・ビジネスモデルと、それを作り上げた人たちが「体制化=サトゥルヌス化」するのは、企業とユーザーのどちらにとってもよい結果とならないだろう。
これまで支配的だったものが、一夜にして覆る。その根底には、「我が子を食うサトゥルヌス」現象を防ぎきれなかった経営陣の責任があるのではないだろうか。
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