グローバルで急成長している日本発のニュースアプリ「SmartNews」。運営するスマートニュースは2012年に創業し、「世界中の良質な情報を必要な人に送り届ける」ことをミッションに掲げている。14年から米国でも展開を始め、アプリのダウンロード数は日米合算で5000万以上、月間アクティブユーザーも日米で2000万以上を誇っている。
スマートニュースは現在、日本、米国、中国に6拠点を置く。さまざまな国籍のエンジニアがチームを組むほか、前編記事『スマートニュースのグローバルなプロダクト開発を支えるプロダクトマネージャーの役割とは』で触れたように、プロダクトマネージャーを導入して、ミッションごとに小さなチームを編成する「Squad体制」で高速なプロダクト開発を実現している。
プロダクトマネージャー導入とともにスマートニュースのグローバル展開を支えているのが、エンジニアのマネジメントだ。単一のプロダクトをグローバルで展開するためには、多様なバックグラウンドのあるエンジニアが開発を担い、かつ世界規模のプロダクト開発を目指す必要がある。
スマートニュースのエンジニアリングマネージャーを務める井口貝氏に、急拡大で生じたチームマネジメントの課題をどう乗り越えてきたのかを聞いた。
世界でダウンロード数5000万以上と急成長を遂げているニュースアプリSmartNewsは、日本発のプロダクトながら米国でも多くのユーザーを獲得している。特徴は日本の企業では珍しく、単一のプロダクトで世界展開をしていることだ。日本版、米国版、それにインターナショナル版は同じアプリでサービスが提供され、ユーザーは設定画面からニュースを切り替えることができる。
スマートニュースでは12年の創業当初、10人に満たないエンジニアで開発を始めた。エンジニアの技術力によって、ユーザーが定着するプロダクトを作り、収益を生み出す。そこからまたユーザーを増やしていく技術開発を繰り返し、成長を遂げてきた。
エンジニアは当初、日本国内で採用していた。しかし世界展開が進み、拠点は日本、米国、中国の6カ所に拡大。質の高いエンジニアを急いで確保しなければならない悩みを抱えていた。組織を変革するため18年にエンジニアリングマネージャーに就任した井口氏は、「日本人だけでは限界を感じた」と当時の状況を振り返る。
「日本で採用するだけでは難しいと感じたのは、2つの理由からでした。一つは、日本人のエンジニアは優秀ですが、当時のスマートニュースでのエンジニアチーム拡大のペースでは、日本だけで採用していては十分な人数を獲得することは難しかったことです。当時はエンジニアの人数を3倍に増やさなければならないと考えていましたが、日本人だけで増やすのは限界があると感じました。
もう一つは、世界で展開するプロダクトを作っているので、集めてきた膨大な情報を世界中のユーザーに向けて、多様な角度から分析して提供する必要があることです。そのためには、プロダクトを開発するエンジニアにも多様性が必要です。それで、18年に採用の要件から『日本語を話せること』を外しました」
採用の要件を変えたことで、多国籍のエンジニアが入社。世界の各拠点で同一のプロダクトの開発を進めることになった。ただ、文化が違えば通常のコミュニケーションにも違いが出る。アジア出身のスタッフは比較的、言外の意図を汲(く)み取ろうと行動する一方、欧米のスタッフは明示的なコミュニケーションに慣れており、多様なメンバーから構成される開発組織のパフォーマンスを高めるには、チームや各個人への期待値を常に明示する必要があった。
こうした文化の違いを学びながらエンジニアのマネジメントを進めたものの、ユーザーが急速に増加する中で、従来のマネジメントではうまくいかなくなりつつあった。そこで、エンジニアリング組織のトップとして、米フェイスブックのニュースフィードの責任者を務めたYoulin Li氏をヴァイス・プレジデントとして招聘(しょうへい)することを決める。大規模なサービスを運用した経験が招聘の理由だった。
「グローバルなスタッフと働くことで、扱うデータや必要なシステム、ユーザーの規模などを地球規模で考えなければならないことに気付きます。すると、1日に万単位の記事を分析している現状から、億単位の記事の分析が必要になったときに、ちゃんと機能するシステムを構築できるのかという課題がはっきりしてきました。
日本には何千万人、何億人のユーザーを想定してシステムを設計できる人はなかなかいません。課題を解決するには、欧米や中国、インドなどで大きなサービスを運用しているエンジニアと一緒に働いてノウハウを知り、急成長の下でもエンジニアが能力を発揮できる組織にする必要がありました。そのために招聘したのがYoulin Liです」
ヴァイス・プレジデントに就任したYoulin Li氏は、エンジニアが50人程度から150人規模へと急速に増えていく中で、さまざまな改革を実行した。一つはエンジニアの採用に統一的な基準を導入したこと。グローバルな人材を採用する時に、個々の面接官の判断だけに頼っていては、人材の質にばらつきが出る。仮に今はうまく機能しても、5年後のビジネスに対応できるかどうかは分からない。
そこで、統一的な基準で採用するために始めたのが「構造化面接」と呼ばれるもの。採用面接でどんな角度で質問するのかを標準化して、フレームワークを作る。グローバルな組織を作るときに使われている手法だ。
ただ、「構造化面接」のフレームワークだけを導入したわけではなかった。スマートニュースが求める人材を採用するために、井口氏らとYoulin Li氏との間で議論をしながら、質問を練っていったという。
「フレームワークは無限の事象を有限にマッピングするものなので、こぼれ落ちてしまうものが確実にあります。今まで私たちが大事にしていた良質な情報を届けるためのエンジニアリングといった観点がこぼれ落ちる可能性があったので、そこはかなり議論を重ねて擦り合わせました。
その結果、カルチャーフィットもできて、質もそろった採用ができるようになりました。構造化面接は、トレーニングすることによって面接官の数を増やすことが可能になるので、採用活動を活発化することにもつながっています」
もう一つの改革は、エンジニアを評価するフレームワークを新たに作ったこと。従来は「あのエンジニアは頑張った」「あのシステムを直してくれた」といった評価をしていたが、エンジニアのレベルごとの責任を明確化し、文章化するレベルエクスペクテーションを作成した。そこで特に重要なのは、レベルごとの評価をグローバルスタンダードに合わせたことだ。
「スマートニュースでレベル3であれば、フェイスブックでもレベル3。スマートニュースでレベル5なら、アマゾンでもレベル5で評価されるように、評価軸を作りました。評価のあいまいな部分をなるべく減らして、どこの国籍の人でも正しく評価ができます。
業界で同じ評価軸を使うことによって、人材の流動性が高まります。この評価方法はシリコンバレーなどでも使われていて、よくできた手法だと思います。エンジニアにとっても不公平感がなく、次のレベルへと上がっていくためには何が必要なのかが明確に書かれているので、自分から成長できます。この効果は大きいですね」
また、エンジニアがプロダクトに対してアイデアを出し、エンジニア主導でプロダクトを作っていくことも、Youlin Li氏が推奨した。日本の場合は社内、社外を問わず、プロダクトのチームがエンジニアに発注することが一般的だ。エンジニアリング組織を持たなくてもプロダクトができるのは利点だが、エンジニアは自分たちのものを作っている訳ではないので、熱意が入らないというデメリットがある。スマートニュースにとっては、エンジニア主導で開発を進めることの効果は大きいという。
「エンジニアが本当にいいと思っているものを、熱意を持って作ることで、プロダクト開発にも熱量や熱狂が生まれてくると思っています。SmartNewsの開発では、多様な情報や多様なユーザーをマシンラーニングなど巨大なデータ構造で理解しなければならないので、エンジニアの力で出せる効果がすごく大きいですね」
スマートニュースではエンジニアを統括するYoulin Li氏や、Squad体制を導入したプロダクトマネージャーのJeannie Yang氏など、海外で実績のあるプレーヤーを招聘することで、急成長を支えるチームマネジメントを実現している。
とはいえ、世界の6拠点に分かれて、グローバルなスタッフでプロダクトを開発していくには、円滑なコミュニケーションが必要になる。井口氏はエンジニアをマネジメントする中で、想像もしなかった文化の違いにも遭遇したという。
「インド出身のエンジニアと会話をしていると、私が話している時に首を横に振ります。なぜだろうと思って聞いてみると、どうも肯定するときに首を横に振るそうです。異なる文化圏の人から見たら、否定しているのか、もしくは首が痛いのかなと思いますよね。
こうした文化や人間の活動は明文化されていないことがほとんどなので、社内では何をやって、何をやらないかを、なるべくグローバルな言語である英語で文章にしています。『きっとやってくれると思っていた』といった諍(いさか)いはなくさないと、文化や宗教など多様なバックグラウンドを持つ人たちとはうまく働けません。文脈に依存した情報はなるべく捨てるようにしています」
また、コミュニケーションを図るときに、どうしても埋めることができないのが時差の問題だ。日本、米国、中国の各拠点のスタッフがリモートワークを進めるにしても、一緒に働ける時間が少ない。
そこでスマートニュースでは、いくつかの工夫をしている。一つはコミュニケーションの非同期化。大陸をまたぐミーティングはなるべく減らして、必要なことは文書にしてコミュニケーションをとっている。文書にする必要がない場合は、チャットツールのSlackを使って文字で伝えている。
とはいえ、全て文書というわけにはいかない。対面の方がいいと考える打ち合わせについては、リモートで実施しているという。
「人間が会話しているときに得られる情報は、7割が非言語的な情報だといわれています。にっこり笑っている表情を見せた方が、ニュアンスが伝わりますよね。この部分を捨てたくはないので、泥臭いやり方ですけど、チームビルディングのミーティングについては、みんな早起きや夜更かしをしながら実施しています。
無駄なミーティングはやめて文書でコミュニケーションをとる一方で、毎日のプロジェクトの確認は、頑張って早起きして行っています。私の上司のYoulin Liはサンフランシスコにいますが、日本との時差が16時間もあるので、現地で朝6時や夜11時でもリモートで会議に参加してくれていますね」
このリモートでのコミュニケーションを支えるために、スマートニュースが導入しているのが同時通訳だ。一般的な通訳と言えば、誰かが話した後でひと呼吸置いて通訳する逐次通訳だが、スマートニュースでは通訳の専門スタッフをチームとして置いて、同時通訳で会議や打ち合わせをサポートしている。
「当社の通訳スタッフは、かなりレベルが高いです。しかも、単に英語を日本語、日本語を英語に通訳するだけではなく、通訳チームはスマートニュースにおいて異文化交流を促進し、組織全体の文化を形づくる手助けになっている組織でもあります。
つまり、通訳はあくまで手段で、コミュニケーションの活性化や意図を明確にして、会社全体の文化の統一感を醸成し、意思疎通を高めるのが目的です。そのために、英語や中国語の高い同時通訳能力を持っているスタッフを採用しています」
スマートニュースではほとんどのエンジニアが英語を話せるものの、社内での英語公用語化はしていない。あえて同時通訳にこだわる理由は、プロダクト開発の際に「ローカルに合わせる部分も必要だから」だと井口氏は説明する。
「プロダクト開発はグローバルに最適化する部分もあれば、ユーザーインタフェース(UI)やユーザーエクスペリエンス(UX)、機械学習のアルゴリズムなど、ローカルで最適化すべきことが絶対にあると思います。
米国にはないけれども、日本市場に特有な部分については日本語でコミュニケーションをする。ある特定の地域やマーケットに対して、一番優れた効果がある自然言語を使うべき局面が出てきます。そのときにカルチャーや情報の交換をスムーズにするために同時通訳が必要だと考えています」
同時通訳は「世界中の良質な情報を必要な人に送り届ける」ミッションや、スマートニュースの社内文化を、世界の各拠点で働くエンジニアに浸透させることに力点が置かれている。つまり、同時通訳はコミュニケーションに対する投資ともいえる。
スマートニュースがチームビルディングやコミュニケーションに力点を置いているのは、エンジニアの成長がそのまま会社の成長につながると考えているからではないだろうか。スマートニュースが目指す今後について、井口氏は次のように答えた。
「拡大のための拡大はしないと考えています。米国では政治的分断の緩和に貢献するようなプロダクトを提供できつつありますが、まだ全米で使われているわけではなく、米国が地球上の全てでもありません。ミッションはまだ達成できていなくて、やることはこれからもたくさんあります。そう考えたときに、現状ではスタッフは足りないと感じています。
プロダクトのことだけを考えると、とにかく成功すればいいじゃないかと思うかもしれません。でも、プロダクトを切り離して1人のエンジニアとして考えると、技術力が高まっているとか、社会に貢献できているとか、新しい価値観を知ることができたというところに、充実感を感じます。
スマートニュースにいる間にいい経験ができて、スキルが上がったと感じることができるような、エンジニアにとってもいい組織にしたい。エンジニアが歯車の一部になるのではなく、新しい領域にチャレンジすることが許される、風通しがいい組織にできればいいですね」
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