連載
ちかぢか48歳。ゴン中山は“奇跡”を起こせるのか:赤坂8丁目発 スポーツ246(2/3 ページ)
47歳の元日本代表FW・中山雅史氏が現役復帰に向けて動き出した。3年近くのブランクを経て、再びプロのピッチに立つことはできるのか。
「ドーハの悲劇」での中山氏
これまで中山氏は日本代表メンバーとして1998年のフランスワールドカップ、2002年の日韓ワールドカップに出場。1998年に最優秀選手賞、得点王(1998、2000年)、ベストイレブンにも計4度(1997、1998、2000、2002年)選出されている。
いろいろな意見が当然あると思うが、こうした輝かしい経歴の中において個人的には「ドーハの悲劇」での中山氏が印象深い。1994年のアメリカワールドカップ・アジア地区最終予選。1993年10月28日にカタール・ドーハのアルアリスタジアムで同予選の最終戦が行われ、日本はイラクを相手にアディショナルタイムで同点とされて本大会進出を寸手のところで逃した。
この試合で当時「スーパー・サブ」だった中山氏は途中出場でピッチに立つとオフサイドラインギリギリのところで抜け出し、後半24分に1-1からの勝ち越しゴールを決める。ところが、その歓喜も束の間。終了のホイッスルが鳴り響く間際、約20分後に自軍のゴールネットが揺らされて同点とされ、それまで米国行きをほぼ確信していた日本代表の夢は無残にもついえた。この瞬間、すでにベンチに下がっていた中山氏も他のイレブンが茫然自失とする中で頭を抱えながら崩れ落ちるように倒れこんだ。
日本サッカー史上で今も語り継がれている「最大の悲劇」の経験者。中山氏の存在はサッカー界にとっても貴重だ。その悔しさをバネに同氏は後のサッカー人生をまい進していったのは言うまでもない。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
関連記事
年俸4億円を“持ち逃げ”……松坂大輔に生じる「説明責任」
ソフトバンク・松坂大輔投手が「残念な人」になってしまった。右肩関節の手術が終わると、日本を離れて「ハイ、サヨウナラ」。年俸をもらっている「プロ」なのだから、メディアを通じてファンに説明する責務があるのでは……!?
“ハンカチ王子”斎藤佑樹の人気はなぜ凋落したのか
かつて“ハンカチ王子”として脚光を浴びた日本ハム・斎藤佑樹投手の人気が凋落している。成績がパッとしないから仕方がない部分もあるが、なぜKYな言動を繰り返すのか。その裏にあるのは……。
新天地でも“転校生”ではない、イチローのハイレベルな「EQ」
メジャー15年目のシーズンを迎えたイチロー選手は、今季から新チームに合流。新天地なので苦労するのでは? と思いきや、チームメートと楽しそうに会話をしている。“転校生”のような立場なのに、なぜすぐにチームに溶け込むことができたのか。
岡田武史氏が語る、日本代表監督の仕事とは
早稲田大学は12月11日、ICC開設3周年記念「働く杯」を開催、特別講演でサッカー日本代表監督の岡田武史氏が自らの仕事に対する姿勢を語った。日本代表監督としての悩みから決断の下し方、チームのまとめ方やスランプになった選手への接し方まで幅広い話題が取り上げられた。
