生涯で93回も引っ越し!? クレイジー絵師・葛飾北斎の素顔:歴ドル・小日向えりの「もしあの武将がネットサービスを使ったら……」(2/4 ページ)
江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の「富嶽三十六景」を一度はご覧になったことがある人は多いでしょう。富士山の世界文化遺産にも貢献したと言われる北斎ですが、実はかなりの変わり者だったようです。
自ら“画狂人”と名乗る
もともと浮世絵は、アートという高尚なものではなく、もっと庶民に近い大衆文化でした。陶器の緩衝材として使うくらい、江戸っ子にとっては、今でいうチラシや新聞と同じようにありふれた存在でした。
19世紀半ば、パリ万博に出展された陶器の緩衝材として使われた「北斎漫画」を偶然目にしたフランスの画家、ブラックモンがその素晴らしさを喧伝したことで、ヨーロッパでジャポニズムの潮流が生まれました。
マネ、ドガ、ルノワール、モネ、ゴッホ、ロートレック、ゴーギャンなど浮世絵の影響を受けていない画家は一人もいません。ゴッホの作品に浮世絵が描かれているのをご存じの方も多いでしょう。
当時、新進気鋭の浮世絵師だった北斎は業界きっての変わり者で、おもしろい逸話にこと欠かないです。ときに狂気を感じるほど。本人も「画狂人・北斎」と名乗っていた時期があり、自他共認める“クレイジーアーティスト”です。
まず、19歳で人気浮世絵師の勝川春章に弟子入りしますが、師匠に内緒で狩野派など他流派や、西欧の技法を学んでいたことが発覚し、春章から「他派の絵をまねるうつけ者!」と破門されてしまいました。人に媚びることを嫌い、愛想も協調性なかったので人間関係のトラブルも多く、反感を買ったのも原因だったようです。
売れっ子作家になるまで貧乏暮らしだった北斎は、年末は暦(カレンダー)を売って日銭を稼ぎ、師匠にバレて恥をかいたとか。ときには、トウガラシを背負って行商するもさっぱり売れず、絵師の道を諦めようとしたことも。
当時の行商人の中でもトウガラシ売りは、大きなトウガラシの張り子を担ぎ、全身トウガラシの装束を着た、いわば「トウガラシコスプレ」。無愛想な北斎がトウガラシコスプレで行商する姿を想像するとおかしくて仕方がありません。
曲亭馬琴とのコンビでブレイクするも……
しかし、餓死しても絵の仕事はやり通してみせると思い改め、39歳のときに画狂人・北斎を名乗るようになった後、読本の挿絵を手掛け、大ブレイクを果たしました。
読本とは、勧善懲悪をテーマに描いた、現在の「伝奇小説」のようなもので、異国の技巧を駆使して物語の世界観を描き出した北斎の挿絵はピッタリとハマったのです。
当時、読本の人気ナンバーワン作者が、 後に不世出の傑作「南総里見八犬伝」を著す曲亭馬琴。北斎は、馬琴と組んで数多くのベストセラーを残しました。あるお正月には、 馬琴×北斎コンビの新刊が7冊も同時に発売されるほど人気を博しました。
しかし、黄金コンビも長くは続きませんでした。馬琴は絵に対して口出しすることがあり、あるとき、馬琴が北斎に 「登場人物に草履をくわえさせてくれ」と注文すると、北斎が「冗談じゃない、こんな汚いものくわえるヤツなんざいねえ。あんたがくわえて見せたら描いてやろうじゃねえか」と応戦。馬琴と大げんかとなり、黄金コンビは解散となってしまいました。
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