2015年7月27日以前の記事
検索
ニュース

化学兵器疑惑のシリア政権、欧米の報復受けても優勢の訳士気喪失(4/4 ページ)

シリア政府軍が化学兵器を使用したとして、米英仏が懲罰的なミサイル攻撃を行った。この報復攻撃は、7年に及ぶシリア内戦の状況にほとんど変化をもたらしていないが、そのきっかけとなったシリア側の攻撃は大きな転機となった。

PC用表示 関連情報
Share
Tweet
LINE
Hatena
前のページへ |       

<「ロシア側が怒った」>

アサド政権支持の指揮官は、匿名を希望しつつ、攻撃準備のために軍が動員されたのは4月6日で、「ジャイシュ・アル・イスラム」がドゥーマからの退去という合意を反故にして、受け入れ不可能な要求を持ち出した後だと話している。

要求の内容には、同グループを政党として合法化することや、シリア軍がドゥーマに立ち入らないことなどが含まれていた。アサド政権支持の指揮官によれば、ロシア側は憤激したという。

「ロシア側は反体制派に対してひどく怒っていた。そして、『なんだ、このありえない条件は』と問いただした」

シリア政府の立場ははっきりしていた、とこの指揮官は言う。反体制グループはトルコとの国境にあるジャラブラスに向かわなければならない、というものだ。

だが「ジャイシュ・アル・イスラム」関係者によれば、ロシア側との交渉は、同グループがドゥーマにとどまるための条件を巡るものであり、退去の条件ではなかったという。

その後の猛攻により「ジャイシュ・アル・イスラム」の防衛線は粉砕されたと双方が語った。

空爆が続くあいだも、市民保護のためにドゥーマ残留を認めるよう「ジャイシュ・アル・イスラム」の要求を繰り返したと、同組織幹部は言う。

次の日の夜、女性と子どもを中心とする500人以上がドゥーマ市内の医療施設に担ぎ込まれた。救援組織の1つである「シリア系米国人医療協会(SAMS)」によれば、化学物質にさらされたことを示す症状だったという。

「化学兵器による攻撃の後、攻撃対象拠点と負傷者を受け入れる病院の周辺地域に対して、樽爆弾による攻撃があった。それで、救急車が犠牲者のもとに到達することが難しくなった」とSAMSは言う。

反体制派が撤退を開始したのは、その数時間後だった。

(翻訳:エァクレーレン)

前のページへ |       

Copyright © Thomson Reuters

ページトップに戻る