コラム
令和の典拠『万葉集』 中西進が語る「魅力の深層」【後編】:新元号の「梅花の宴」言及部分(2/5 ページ)
新元号「令和(れいわ)」の典拠である『万葉集』――。万葉集研究の第一人者、中西進氏がその魅力を語る後編。
現実を超えるところに詩の力がある
しかし人麻呂が偉大な歌人であるゆえんは、この物理的な風景を心理的に超えようとするところにある。すなわち人々の目にはたしかに石見が荒涼とした土地と映るとしても、そこに妻がいるという、たったその一つにおいて、石見は愛のかたみとしての輝きを帯びるのである。
現実を超えるところに詩の力があり、詩人の偉大さがあろう。人麻呂はこうした愛の情念の中に石見を歌い、心を述べる。
その表現はすばらしい。藻の比喩、風や浪の描写、そして深山の叙景。この表現のすばらしさは、根源に神話を秘めている。それほどに根の深いことばだといってよいのであろう。
人麻呂における神話的表現は、一般的な傾向でもある。しかし、なかんずく石見のことばの根が深いとなると、この地域がもつ思惟の古層、出雲神話などを形成している言語の古層から導き出されたことばであったのではないかと思いたくなる。たとえば国引きの神話のことばのような。
高角山(たかつのやま)を越えながら人麻呂が聞きとめていた小竹の葉のざわめきは、太古、天つ神がやってきて国土を秩序化する、その以前の原始のざわめきだったにちがいない。だから人麻呂も原始に立ち帰って、妻の魂とじかに結ばれたいと願い、またそれができると信じたのである。
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