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ホリエモンが「東大卒ブランド」を捨てた理由――私はこうして起業家人生をスタートさせた堀江貴文の『捨て本』【前編】(2/5 ページ)

本当にそれは必要ですか? 経営者としての「ホリエモン流」人生哲学。ビジネスにまつわる「捨てる」ことの意義を、3回に分けて紹介していく。前編は東大を中退し起業家人生をいかにスタートさせたのかをお届けする。

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水が低きに流れるように、自然に身を任せる

 そんななか、目に入ったのはPC関連の仕事だった。中学時代、プログラムが得意だったのを思い出した。最初に見つけた会社で仕事をしているうち、プログラムの技術を「再起動」させた。スキルが高まり、もっと高い報酬をくれる別の会社を探した。そして某ベンチャー企業の子会社に、データ入力業務で採用された。

 僕にはPower Macが与えられた。当時はとても高額で、貧乏学生にはありがたいツールだった。それ以降、現在まで僕はMacユーザーを通している。新しい会社では、すぐに通信のサポート業務など、他の仕事を任されるようになった。スキルはすぐに高まっていった。

 学生時代は、特にIT業界への道を目指していたわけではない。その場その場で選択を重ね、やがて何かに導かれるように、僕の行くべき道が開かれていったような感覚だ。僕には人生の指針などないのだけれど、大事にしている考え方は、いくつかある。ひとつは「水が低きに流れるように、自然に身を任せる」ことだ。

 水は、山から集まって、やがて川となって流れていく。ときには滝もあるし、穏やかに流れていくこともあるだろう。さらに小さな川は集まり、大河となって、ゆったりと広い海に流れこんでいく。何者にも、せき止められない。せき止めようとしても、流れはどこかで必ず生まれ、別の支流から川となる。

 例えば、水に飲まれ、滝から落ちそうになってしまったら。そうならないよう努力はすべきだけれど、滝が間近に迫ったときは、どうしようもないのだ。「落ちたくない!」などと考えて、もがいても仕方がないと、僕は思う。「滝から水は落ちるもの。抵抗しても意味はない」と受け入れ、流れに身を任せてしまうのが最良だ。滝に落ちても、必ず浮上するチャンスはある。滝の向こうに延びる、また別の大きな流れに飛びこめたと考えればいいのだ。

phot

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