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「フラッシュメモリー産みの親」東芝が敗北した真の理由科学技術立国・日本崩壊の真相(1/3 ページ)

「チャレンジ」問題や債務超過、事業売却が相次いだ東芝。フラッシュメモリー「産みの親」でありながら敗北した過去が。日本屈指の技術力を誇った企業が衰退した原因を追う。

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編集部からのお知らせ:

本記事は、書籍『誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃』(著・毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班 、毎日新聞出版)の中から一部抜粋し、転載したものです。毎日新聞の取材班が綿密な調査で迫った、日本の科学技術凋落(ちょうらく)の実態。大学の研究現場や、科学技術政策に携わってきた政治家、そして企業にも切り込んだ本書。企業の取材先は、電機メーカーのほか、バイオベンチャー、自動車業界にも渡りますが、今回は東芝の事例に迫ります。


 「ものづくり」で高度経済成長を牽引(けんいん)した日本企業だが、グーグルなど巨大IT企業の出現や経済のグローバル化、新興国の台頭といった社会変革の中で、急速に存在感を低下させつつある。日本の企業はなぜかつての勢いを失ったのだろうか。国内の研究開発投資の8割近くを担う企業の現状と課題を考える。

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日本の科学技術力を代表する企業の1つ、東芝はなぜ衰退したのか(写真はイメージ、提供:ゲッティイメージズ)

「産みの親」、しかしシェアでサムスンに敗北

 「君はジョギングしながら音楽を聴きたくないか。フラッシュメモリー(記憶媒体の一種)を使えばそれができる」

 1990年ごろ、東芝の総合研究所(川崎市、現・研究開発センター)で、入社志望の学生に熱心に語りかける技術者がいた。半導体メモリーの研究開発を率いていた舛岡(ますおか)富士雄氏だ。

 重くてかさばる上、揺れると音が飛びやすいCDを使った携帯用音楽プレーヤーがやっと普及し始めた時代。舛岡さんの部下だった作井康司氏は「学生さんは目が点になっていた」と懐かしそうに振り返る。

 今やフラッシュメモリーは、多くの電子機器に不可欠だ。作井氏は言う。

 「舛岡さんはアップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏のように、30年先を見据えることのできるビジョナリー(先見の明がある人)だ」

 フラッシュメモリーは80年代に舛岡氏が発明した。半導体で作り、電子の出し入れによってデータの書き込みや読み出しをする記憶媒体だ。磁性を使う磁気テープやハードディスク、光を使うCDやDVDに比べ、データの入出力が格段に速く、小型化・省電力化できるメリットがある。自動車や家電、スマートフォン、デジタルカメラ、ノートパソコンなど多種多様な製品に搭載されている。

 70年代に登場した半導体メモリー「DRAM(デ ィーラム)」は電源を切るとデータが消えるが、フラッシュメモリーはこの弱点を克服した。その可能性に目を付けた米国の半導体メーカー「インテル」は、舛岡氏の最初の発表から三年後にフラッシュメモリー事業部を設置している。

 一方、東芝社内では当時、DRAMの売り上げが全盛期だったこともあり、フラッシュメモリーの評判は芳(かんば)しくなかった。舛岡氏はDRAMの高性能化に取り組みつつ、安価での製造が可能な「NAND(ナ ンド)型」というフラッシュメモリーの開発を継続。91年に世界初の製品化にこぎつけたが、販売では不振が続き、「約10年間、日の当たらない坂道を歩き続けた」(作井氏)。舛岡氏は94年、「フラッシュの先の技術を開発したい」と、東北大教授に転身した。

 NAND型フラッシュメモリーは90年代中ごろからデジタルカメラ用の需要が拡大したのをきっかけに、2000年代には東芝の主力製品に成長した。

 しかし、このとき世界のトップシェアを握ったのは、生みの親の東芝ではなく、韓国のサムスン電子だった。

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