東大卒プロゲーマー「ときど」はいかにして生まれたか――ゲームは毒にも薬にもなる:東大卒プロゲーマー「ときど」の肖像【前編】(2/4 ページ)
17歳のときに世界一の格闘ゲームの大会「EVO」で優勝したトッププレイヤーの1人である東大卒プロゲーマー「ときど」。彼はいかにしてプロゲーマーになり、現在のeスポーツの課題をどう見ているのか。前後編の前編。
父の一言「お前はチャレンジしなさいよ」
――そこから「ときど」として格闘ゲーマーの間で有名になっていきます。何がそうさせたのでしょう。
それからもずっとゲームをやり続けていて、高1になると全国大会にも出るようになります。ただ本当はそのときにゲームをやめようと思っていたんですよ。受験があるから。でも全国大会で負けちゃって、超悔しかったんです。「絶対俺のほうが強いのに、何で負けたんだろう」と考えているうちに、結局やめられませんでした。
高2のときにアメリカ(米国)の「EVO」という大会に出場することになったんですが、さすがにこれを区切りに受験に専念しようと考えました。このとき親に、「これ終わったら勉強するから行かせて」って頼み込みました。
――そして「EVO」で優勝するわけですね。しかし受験前にもかかわらず、よく行かせてもらえましたね。
正直、反対されるかなとも思いました。でも、あとで分かったことだったんですが、父は海外をもともと怖がっていた人だったんですけど、仕事で留学してみたらとてもいい体験だったそうなんですね。それで僕にとっても「きっといい経験になるだろう」ということで、むしろ快くお金を出してくれました。
――なかなか理解のある親御さんですね。
アメリカの大会で優勝して帰ってきたときには、とてもびっくりして、本当に喜んでくれました。
――その後ときどさんは東大に進学され、大学院にも進みます。大学院では研究に行き詰まる一方、ゲームの方ではプロ契約の話が持ち上がります。プロゲーマーになることをどのように決断したのですか。
正直、東大まで進んだのに、不安定な道を選んでいいのかという思いもありました。ここまで育ててくれた親にも申し訳ないという気持ちもありましたね。そこで思い切って父にも相談してみたんですが、実は父がかつてミュージシャンを志望していたことが分かったんです。父は大学の先生(編注:東京医科歯科大学の名誉教授)で、幼いころから「お堅く、真面目で、神経質な人だな」っていう感じが付きまとっていたので、とてもびっくりしましたね。
それで、「俺は夢を諦めたけど、お前はプロになれるんだったらチャレンジしなさいよ」と言ってくれたんです。これが決め手になって、大学院をやめてプロになることを決意しました。親父はやっぱり「すごい人だな」って思います。
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