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3度の戦力外通告を受け、営業部へ 「異例」のキャリアを選択した理由は元横浜DeNAの中後悠平さん(2/5 ページ)

プロ野球選手の現役期間は短い。セカンドキャリアに悩む人が多い中で、元横浜DeNAベイスターズの投手・中後悠平さんは、同球団の営業部へ転身した。現役引退後すぐに営業部に配属するのは、とても珍しい。なぜ異例ともいえるキャリアを選択したのかというと……。

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最後まで悪あがきしたい気持ちも

――選手として続けたい思いはありましたか?

 最後まで悪あがきしたい気持ちはありましたし、今でも戻れるなら選手に戻りたいと思っています。でも通告を受けた当時、他球団から声がかからなかったので、自分の状況を受け入れて一線を引きました。

 「選手としてできないなら、球団事業側からファンの皆さんを喜ばそう」という考えが自然と湧いてきて、営業として、職員になると決断しました。

――ご家族はどのような反応でしたか?

 奥さんは、野球に関わりたいという僕の意思を尊重してくれました。もしかしたら内心不安で、他の仕事に就いてほしいと思っていたかもしれませんが、そういうことは一切言われませんでした。家族のことをほったらかして、好き勝手に野球のことだけやって、迷惑ばかりかけて。それでも支えてくれているので、ありがたいなと思っています。

 選手のころは遠征や自主トレ、キャンプも合わせると1年のうち3分の2は家には帰れませんでした。今はカレンダー通りに土日休みのある生活ができているので、家族と関わる時間は増えています。特に嬉しいのが、夏に子どもと海に行けるようになったことです。現役時代はシーズン真っ最中なので絶対にできませんでした。

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