会社のトップが大好きな「戦国武将に学べ」が、パワハラ文化をつくったと感じるワケ:スピン経済の歩き方(4/6 ページ)
NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がスタートした。SNS上で「おもしろい」と話題になっているが、時代劇の中でも「戦国武将」に目がない人たちがいる。経営者だ。筆者の窪田氏は「武将に学べ系コンテンツ」と「パワハラ」に微妙な関係があると見ていて……。
「部下を守る」という考えがない
信長のイメージを貶(おとし)めたいとかそういう類の話ではない。戦国武将が生きる時代の部下のマネジメントでは、「これが当たり前だった」ということを指摘したいだけだ。
なぜかというと、今のわれわれの世界にあるものが当時はないからだ。そう、「人権」である。
「弱きを助け強きをくじく」みたいな時代劇を生まれたときから刷り込まれているせいで、多くの日本人が勘違いをしているが、日本に「人権」という概念が持ち込まれたのは明治時代。つまり、それまでは、「人間は平等でみんな生きる権利がある」という発想はない。特に戦国時代などでは、君主という最上位の人間の命と比べたら、臣下や兵の命は紙切れのようなものだった。
それがうかがえるのが、武田信玄の有名な「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方,仇は敵なり」という名言だ。これもわれわれは現代の人権感覚に基づいて解釈をしているので、「人を大切にしたのだな」と感じるが、人間を石垣という「モノ」と捉えているように、自分や国を守るための耐久財、消耗品として大切にしていただけで、そのために「情け」を活用しようという話だ。決して「人間」として扱っていたわけではないのだ。
繰り返しになるが、これは信玄が「非人道的」とかそういう話ではなく、これが当時の人権感覚だという話である。信玄が民衆を大切にしたのは、命と権利を認めていたわけではなく、国を守るための「資源」として必要だったからだ。
さて、ここまで言えば筆者がなにを言わんとしたいかお分かりだろう。日本の社長たちが尊敬してやまない戦国武将たちの時代には「人権」という意識がないので、当然「部下を守る」という視点はそもそも存在しない。
戦略のゴールは「君主が生き残る」「国を守る」ということなので、その目的を達成するために部下を犠牲にする発想が当たり前のように、戦略の根底にある。
そのような戦国武将に憧れ続けた社長が経営する会社で、どのような企業風土がつくられていくのかというは容易に想像できよう。「社長が生き残る」「会社を守る」という目的のために社員が犠牲になるのは当然という「パワハラ文化」である。
「そんなのは貴様の妄想だ」と不快になる方も多いだろうが、日本企業の「サラリーマンは組織を守るために犠牲になるべし」という滅私奉公のルーツが、戦国武将にあることを如実に示す「戦術」がある。
「捨て奸」(すてがまり)である。
これは関ヶ原の戦いの退却時に敵中突破の手段として島津義弘が用いたとされることで知られており、簡単に言えば、退却をする際に、君主が安全に逃げるまでの間、兵士が死ぬまで戦って敵を足止めをするという戦い方である。
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