HYDEが心酔した画家・金子國義 美術を守り続ける息子の苦悩と誇り:『不思義の国のアリス』手掛ける(2/3 ページ)
L'Arc-en-Cielのhydeさんが“心酔”した画家が、2015年に78歳で亡くなった金子國義画伯だ。金子画伯は、『不思義の国のアリス』などを手掛け、退廃的で妖艶な女性の絵画を多く残した。その作品を管理し、販売している金子画伯の息子である金子修さんに、アートビジネスの現場の苦労と、芸術を受け継いでいく難しさを聞く。
3度描いた『不思議の国のアリス』
金子画伯は『不思議の国のアリス』を生涯で3度、描いている。1回目が1974年にイタリアのオリベッティ社が出した絵本、次に94年に新潮社が出した新潮文庫、最後が2000年にKADOKAWA/メディアファクトリーが出版した書籍だ。
絵画の代表作としては「王女に扮するアリス」や「気分を出して」などがあり、その他の画伯が残した絵も死後に高騰を続けている。
「亡くなってからは新しい作品が出ませんから、僕自身もオークションなどで仕入れたりしています。価格は今、手に入れるのにSM(サム・ホール、22.7×15.8センチ)で220万円くらいまで上がりました。オークション会社を通して作品を買い戻すには、手数料として10%程度を支払わなければなりません」
高く売れる作品は、持ち主が玄関に飾れるような作品だそうだ。描かれた人物が洋服を着ていなかったり、血が出ていたりといった作品は人気が出にくく、値段が上がりづらいという。
また先に触れた通り、絵画の個人売買にはリスクが付きものだ。
「必ず『安くしてほしい』と交渉されますから、個人的なやりとりは精神的なダメージを伴います。その時の自分や、お相手の状況にも左右されてしまうのです」
出回る贋作「寸分も違わない人がいた」
以前オークションサイトに、金子画伯の贋作が出回ったことがあった。必ず本物を見分けるという修さんの目から見ても、「寸分も違わない人が一人いた」という。ただ、その絵画は持ち主がはっきりしていた作品だったため、ネットに出回っているものが贋作だと発覚した。サイトに通報したことが奏功したのか、出品者は絵画の出品を取り下げたものの、その作品が世に出回ったことに変わりはない。
「贋作が出回るようになると、こちらが公式の展覧会を開催することがお客さまにとっては一番の信頼になります。そこで売られているものは本物ですから。さらに金子國義登録委員会というのを作りました。私たちが現物を見て本物だと判断した場合は、本物として登録するのです」
肉体労働から一転 1本の電話で数奇な運命へ
「僕は“金子國義の息子”という仕事をしているんです」。修さんはこう話す。
ただ、実は修さんは、金子画伯と血縁関係にあったわけではない。日雇いの土木作業員をしていた24歳の修さんは、画伯との出会いで数奇な運命をたどることになる。それは1992年8月のことだった。
「僕が大阪に住んでいた時でした。宗右衛門町のバーで飲んでいたら、展覧会で東京から来ていた金子先生に『あなた金太郎みたいね』と声をかけられたんです。キラキラした目をしながら上着を脱ぐように言われて、僕のスケッチが始まりました。当時、建設関係の仕事をしていたので体が引き締まり日焼けもしていました。そこを気に入ったのかもしれません」
それから2年後の94年、画伯は再び個展のために大阪を訪れた。会場に足を運んだ修さんを「3カ月くらい東京に来てみない?」とアシスタントになるよう誘ったのだ。修さんはちょうど仕事を辞めたタイミングだったので、「3カ月だけなら」と思い、その足で帰京の運転手を務めることになった。「まあ、いいかという感じでした。絵のことは山下清とダリくらいしか知りませんでした(笑)」。
問題はその後だ。
「3カ月たって『帰ります』と伝えると、先生に止められて大反対されました。ただ私にも大阪での暮らしがありましたら強引に帰ったのです。すると金子先生の友人で、詩人の高橋睦郎先生から電話があって、『1人の画家が、絵が描けなくなると言っている』と言われました。それで、これは大変なことになった、戻らなきゃだめだなと思って……」
その1本の電話から、画伯と暮らすことになり、職業「金子國義の息子」の人生が始まった。画伯に出会うまでは40キロのセメントを1日200個運ぶ肉体労働者だった修さんが、高名な画家のモデル兼助手兼マネジャーになったといえばいいのか。
金子画伯は両親が織物業で成功していたおかげで、戦中戦後を何不自由なく過ごしていた。金銭感覚が普通でなく、いわゆる常識に縛られない金子画伯は、やることなすことめちゃくちゃだったという。そんな画伯の面倒を、20代の修さんが見ることになった。時間、お金、食事、洗濯など身の回りの世話を何でもしなければいけなくなったのだ。
「先生はATMの使い方も分からない人で……。買い物もお札でしか支払えませんでした。おつりがどんどんたまって財布が小銭でパンパンになるんです。社会から外れた人で、その社会との窓口になっていたのが僕だったのかもしれません」
共に生活していると、生活の全てが画伯との暮らしと一体になる。その後2002年2月22日の「猫の日」に、修さんは画伯の養子になった。
「カネコなのでネコって、仲のいい人には呼ばれていました。だから、ちょうどいいということになって。養子になるまでは事務手続きで区役所や郵便局に行ったときに、『どのようなご関係ですか?』『委任状は?』と、いつも聞かれていたんです。それが養子になれば親子ということで楽になりました。ただ、当時、僕が結婚したかった人とは別れることになってしまいましたが……」
マネジャーを務めるのは大変だったでしょうね、と修さんに水を向けた。すると、仕事においてのジャッジは全て画伯がしていたという。
「だから正確にいうとマネジメントという仕事までは、していませんでしたね。例えば、お金持ちの人から肖像画を描いてほしいという依頼が時々あったのですが、そういう仕事が入っても先生は『あの人、顔が嫌いだから描かない』と断ることもありました」
逆に言えば、マネジメントという生易しい言葉では片付けられない日々だったことがうかがえる。「画伯は気難しい人だったんですね」と聞くと、それも違うという。
「いや、めちゃめちゃ優しいんです。でも銭金(ぜにかね)では動かない人でした。だからといって貯金がたっぷりあったわけではありません。自分が選んだものに価値が生まれるといったようなことがある人でした。一般的な価値観には左右されない。私はそんな先生の養子になり、気付いたら喪主になっていました」
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