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「プレステの父」久夛良木健に聞く 「決断が遅い企業経営」に陥る理由:近大の情報学部長(2/2 ページ)

プレステの「父」とされている開発者の久夛良木健さんが、4月に近畿大学の情報学部長に就任した。なぜ、大学教育に力を入れようとしているのか。71歳になってからの新たな挑戦について聞いた。

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プレステは任天堂との共同開発を念頭に置いていた

――創業者がクリエイティブに富んだ方でも、代が変わると硬直化することは確かに珍しくないように思います。こうした背景にも教育が影響しているというわけですね。久夛良木さんはソニーで数々のイノベーションを起こしてきたわけですが、どのようなことを心掛けていたのでしょうか。

 未来の創造を念頭に、最先端のイノベーションに継続して挑戦しました。もちろん、その過程にはさまざまなしがらみも起こるのですが、後で振り返って後悔したくはありませんよね。

 ここでの最先端は世界での最先端であり、ソニーという会社はそういうチャレンジができる会社でもあったのです。

――プレステを開発する際も、当初は任天堂との共同開発を念頭に置いていました。ソニー1社だけでない、垣根のないさまざまな企業を巻き込んだ一大プロジェクトでしたよね。

 垣根って、あっちゃいけないんですよね。世界のアカデミズムにも、垣根なんてあっちゃいけなくて、いつでも世界最先端をみんなが共有しているはずなんです。プレステを世に出した時に注意した一つの点として、なるべく「ソニー」というブランドを出さないで展開していったことです。

 当時のソニーのCMって、最後に「It's a Sony」で終わるんですが、プレステのCMにはそれが出てきません。あくまで「プレイステーション」っていう新たなブランドをみんなで作り上げていくことを意識しました。

――プレステは「みんなで作る物語」だったわけですね。

 だから大成功したんですよ。それが世界中で同じことが起こったわけで、「PlayStation」っていうのはもう世界の一般語ですよね。プレイステーションの話をすると、みんな自分の物語を話すわけです。「僕はヨドバシカメラに並んだ」から始まって、「うちの部品が入っている」といったように、必ず自分の体験として自身のプレステ史の話をするんですよ。

 これはプレステに限った話ではなく、ソニーの社風がそういうものでした。ソニーを創業した盛田昭夫さんや井深大さんも、新しくできたトランジスタで、ラジオとかテレビを作って世界の人たちのライフスタイルが変わるとか、そういう発想からスタートしています。

 ソニーが主語に来ていないんですよね。そして今の日本には、そういう概念のある企業人が少なくなっている気がします。でも、今の若者は違っていて、その時代が過ぎた感じもするわけです。


ゼミで教壇に立つ久夛良木さん

情報学部棟

若い才能を伸ばしていきたい

――今の10代や20代の学生などはどのように変わってきているのでしょうか。

 今の若者は、生まれた時からいろんなイノベーションが起こっていて、いろいろなことを知っている人たちなわけです。ネット経由で多様な情報が検索できる、もしくは触れられる時代になっています。

 だからその子たちが、18歳ぐらいになっても好奇心が旺盛で、今回のゼミをやっても、えらい食いつきが良いわけですね。1回の授業をやるだけでも、「すごく興味があったけど何でこうなったか分からなかった」といったものや、「こんなところまで情報を集めることができなかった」という感想をもらいます。質問の内容も、「どうやってこの情報を調べるんですか」とか、そういったものも多いです。

――日本の未来は明るいということなのでしょうか。

 手放しで「明るい」とは言えないですね。陽がちょっと差し始めたぐらい。近大からそれをオープンにしていきたいですね。今の若い世代は生まれた時からインターネットに囲まれていて、学校以外から物事を学ぶ姿勢が強いですから、その分、柔軟な発想に富んでいます。こうした若い才能をこれからも伸ばしていきたいですね。


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