青森人気ラーメン店「ひらこ屋」が東京駅に 1号店閉店から県内1位に上りつめた哲学:東京ラーメンストリートの舞台裏(2/4 ページ)
青森の名店「中華そば ひらこ屋」が1月16日まで東京ラーメンストリートに出店している。いったいどのような狙いがあって東京駅に出店したのか、人気店の秘訣は何なのか。「ひらこ屋」経営する株式会社らいもんの三上玲社長に聞いた。
「麺屋武蔵」に考えを変えられた
――独立する前に修業などはしていたのでしょうか。
高校を卒業して最初は一般企業に勤めていました。22歳の時にラーメン店で修行して、そこでは店長まで任せてもらいました。その当時から自分の店をやりたい意志はあって、東京や全国のラーメンを食べ歩きたいと思っていました。独立するにあたってはさまざまなラーメンを研究しました。
――結局、青森では伝統的な煮干しを使ったラーメン店を始めています。
自分はやっぱり青森が好きなんですよ。青森で自分がラーメン店をやるときに、どんなものがいいのか悩みました。それで、最終的にたどり着いたのが煮干しだったんですよね。
実はひらこ屋を今の場所で05年12月に始める前に、02年の28歳の時に最初に出したお店が「雷門」というラーメン店だったんです。そこではイワシの煮干しではなく、サンマの煮干しを使ったラーメンでした。
――イワシではなくサンマにした理由はあるのですか。
煮干しを使ったラーメンは小さい頃から苦手だったんですが、東京で「麺屋武蔵」という人気ラーメン店のラーメンを食べて考え方が変わりました。サンマの煮干しを使おうと思ったのは、ラーメンに自分の味作りを反映したい狙いもありました。
青森のむつ市の加工業者にサンマの煮干しを作ってもらって、そこで自分のラーメン店を始めました。
――今の「ひらこ屋」はどういった狙いで開業したのでしょうか。
「雷門」は煮干しを使ったラーメン以外にも、みそとか他の種類のラーメンも出していました。「雷門」で試行錯誤していくうちに、最終的には自分がやりたいラーメンは煮干しにこだわったラーメンだと思い、それで「ひらこ屋」を立ち上げました。
――今では「雷門」というお店はなく、その名前は企業名に残っています。
「ひらこ屋」を出して31歳の時に、病気で2カ月間入院してしまったことがあったんです。その時に「雷門」は閉店することにしました。
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