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「地球駅OCAT」を襲った悲劇から20年 どう変身した?(1/5 ページ)

JR難波駅は、地名にちなみ「湊町駅」と呼ばれていたが、関西国際空港の開港に伴い改名した。歴史を振り返ると……。

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産経新聞

 今回の企画最後の「難波駅」はJR難波駅(大阪市浪速区湊町)。かつては地名にちなみ「湊町駅」と呼ばれていたが、関西国際空港の開港に伴い改名した。名所はもちろん駅が入っている「大阪シティエアターミナル(OCAT)」だ。OCATは平成8年の開業当初、関西、大阪両空港のチェックインが可能で「24時間都市の拠点」とされた。だが、13年、悲劇が襲う。苦難を乗り越え、たくましく生まれ変わったOCATの今昔物語である。

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「OCAT」の正面入り口。周辺では高層ビルの建設が相次ぐ
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OCATの開業時のパンフレット。世界の玄関口をイメージし、 表紙はまさに“天空の城”(湊町開発センター提供)

 OCATを管理する「湊町開発センター」総務部の田上美奈さんと事業部の坂東左知子さんに話を聞いた。「開業当時のパンフレットです」と田上さんが持ってきたパンフレットの表紙には、雲の中に浮かぶOCATの写真。右上には飛行機が…まさに“天空の城”。ページをめくると−

 《地球駅OCATの誕生》『1994(平成6)年の関西国際空港の開港で空の新時代を迎えた大阪。その新しいシンボルとして湊町に誕生したOCATは、鉄道とバスのダブルアクセスで世界につながる『駅』というだけでなく、大阪が更なる国際化へ飛び立つ出発駅としての役割も担っています』

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