「完成マンション取り壊し騒動」 心配なのは積水ハウスではなく、国立市といえるワケ:長浜淳之介のトレンドアンテナ(3/4 ページ)
完成したにもかかわらず、取り壊しとなって話題を呼んだ国立市のマンション「グランドメゾン国立富士見通り」。あらためて国立市の歴史などを振り返りながら、今回のてん末について解説する。
フロア数の見直しなども行ったが、結局取り壊し
積水ハウスが2021年に、2階建の一軒家を取り壊した後に、当該マンションの建設を発表した際には、狭小な土地であり、採算を取るには高層にして部屋数を増やすしかないと考えた。国立市としては、条例で高さ制限を設けている場所ではなく、積水ハウスには地域住民に十分に説明を行い、つつがなく建設するように求めたという。
既に道向かいには、同じくらいの高さの10階建のマンションが2012年にできており、そのときも住民の反対はあったが、最終的には円満に解決した。今回もマンション建設への賛否は、住民間で真っ二つに近かったようだ。しかし、積水ハウスは住民の意見を聞き入れ、当初11階建てだった計画を、10階建てに変更するなど見直して着工した。
とはいえ住民全員が100%納得したわけではなく、日照や電波の障害、高所からプライバシーが侵害される懸念もくすぶったが、富士山が見えることを売りに、グランドメゾン国立富士見通りは建造へと入った。
しかし、積水ハウスが通りからの眺望を最終的に確認したところ、当該マンションが障害になっていることが分かり、協議の末、取り壊すことになったという。SNSに投稿された、マンションが建つ前と建った後の比較画像が炎上したのが、原因だったという説もあったが、積水ハウスの広報は「SNSの富士山が半分くらい隠れた画像は関係ない。当社の自主的な環境、景観に配慮した判断」とキッパリ否定した。
ドイツ流の学園都市構想から生まれた国立
国立市は、人口約7万6000人の、東京都中部にある小都市だ。市域の北側にJR中央線の国立駅、南側にJR南武線の谷保駅・矢川駅がある。元々は雑木林が広がる何もなかったような場所で、国分寺と立川の中間にあるので国立と名付けたという。この地から国を立てると、高まいな理想があったといった説もある。
地域の中心だったのは甲州街道沿いの谷保で、谷保駅から歩いて2〜3分の谷保天満宮は梅の名所として多摩地区では知られた神社だ。東日本最古の天満宮でもある。しかし、数百戸の農家が点在するだけののどかな村だった。
街のグランドデザインを描いたのは、現在の西武グループの礎を築いた「箱根土地」の堤康次郎だ。駅の南に東京商科大学(現・一橋大学)と東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)を誘致し、教育機関と住宅の融合をウリに、理想の学園都市を目指して計画的に良質な住宅街として開発が進んだ。箱根土地の本社も、当時国立にあった。
箱根土地は箱根や軽井沢の別荘地開発だけでなく、渋谷に百軒店(ひゃっけんだな)を開発して、今日の渋谷の商業地としての発展を先導。一方で、国立、小平(東京都小平市)、大泉(東京都練馬区)において、ドイツの都市・ゲッティンゲンをモデルに学園都市構想を推進した。中でも最も成功したのが国立といわれている。
ゲッティンゲン大学(ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン)は、過去40人を超えるノーベル賞受賞者を輩出。童話作家のグリム兄弟、詩人のハイネ、数学者のガウス、札幌農学校(現・北海道大学)初代教頭のクラークらの母校でもある。堤が国立を開発した際の、並々ならぬ意気込みが伝わってくる。
国立駅から谷保駅までの2キロ弱を、幅44メートルのメインストリートと大学通りが縦貫。現在はこの通り沿いに一橋大学、桐朋学園、都立国立高校がある。駅前の円形ロータリーからは西南に富士見通り、東南に旭通りが延びる。これらの通りが駅から放射状に延び、碁盤の目のように道路が造られた。
これらは、やや先行して「田園都市(東急グループの前身)」が始めた「田園都市構想」に対抗したものだった。現在の東急目黒線沿線の大田区・世田谷区・目黒区の駅、田園調布・奥沢・大岡山・洗足の一帯を、英国の社会思想家、エベネザー・ハワードが提唱した都市と農村の長所を併せ持つ「田園都市」の理念に基づき、宅地開発を進めたものだ。こちらはロンドン郊外のレッチワースがモデルになっている。ドイツ流の学園都市と、英国流の田園都市は、当時の東京の都市開発の2大社会実験だった。
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