2015年7月27日以前の記事
検索
連載

農学部→SIer→リクルート 異色の経歴から「IT人材問題」を解決するサービスが生まれたワケ(2/3 ページ)

IT人材の争奪戦を背景に、近年は採用代行サービスを利用する企業が増え始めている。その一つが、2019年に創業したレインだ。創業者は大学で農学部に所属し、そこからSIerに進んだという経歴の持ち主。どのような経緯で、採用代行サービスを立ち上げたのか。

Share
Tweet
LINE
Hatena
-

転職直後に「リーマンショック」も、乗り越えてトップセールスに

 IT業界の多重構造はピラミッドで表現されることも多い。このうち、中電シーティーアイは比較的上流である。給料も良く、社会的な評価も高かったものの、自らのスキルと待遇面のギャップに戸惑ったと芦川氏は振り返る。

 加えて、委託先のベンダー企業には優秀なエンジニアがたくさんいるものの、残業が多く、福利厚生などの条件面で劣る労働環境を見て、業界の構造に違和感を持ったという。

 「日本でエンジニアがさらに活躍するには、IT業界の仕組みを変える必要があると、使命感を持つようになりました。その上で、人材をサポートする側なら、エンジニアに貢献できると考え、人材企業への転職を決意しました」(芦川氏)

 そうしてリクルートへ転職したのが2008年。リーマンショックが起こった年だ。

 「2月に入社して、9月にリーマンショックが起きてしまいました。企業の採用がストップし、エンジニアの求職も大打撃を受けてしまったんです。相談に来る人の多くがリストラにあった方々ですが、企業側も業績や景況の悪さに悩んでおり、双方をいかにマッチングするか苦労しました」(同)

 苦しい時期を何とか乗り越え、芦川氏はその後、トップセールスに。計4年在籍したリクルートでは、法人担当と個人のキャリアアドバイザーを務め、100社以上のIT企業、2000人以上のエンジニアの転職をサポートしたという。このように成績は「絶好調」だったが、今度はフリーランスに転身して採用代行に携わる道を選んだ。

 「リクルートでやれることはやり切ったと感じました。そこであらためて人材業界を広く見たとき『人材紹介業以外も経験したい』と思い、最終的に採用側に立つことにしました。挑戦したい気持ちが強かったので、退職への不安はありませんでしたね」(同)

 そもそも、会社員が独立する場合は、新規営業が課題となるはずだ。リクルートの看板を下ろした後、芦川氏はどのようにして顧客を増やしたのだろうか。

 「リクルート時代のお客さまから紹介いただくなど、リファラルでの引き合いが多いですね。その他、人事担当者は横のつながりがあるので、IT採用に困っている別の企業を紹介してもらうことも多々あります」(同)

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

ページトップに戻る