ロフトとハンズの“似て非なる”戦略 巨大雑貨ビルが相次ぎ閉店するワケ:前編(2/2 ページ)
雑貨大手「ロフト」「ハンズ」の巨大雑貨ビルが相次ぎ姿を消している。2021年には「東急ハンズ池袋店」(当時)が完全閉店、2025年には「梅田ロフト」が35年の歴史に一旦幕をおろした。「ロフト」「ハンズ」の歴史をひも解き、岐路にある大型店の現状と今後の展望を、2回にわたって明らかにしていく。
東急不動産の「遊休地活用」でうまれたハンズ
ロフトの大型店が、電鉄系百貨店の直営雑貨、大型店再生から派生した直営雑貨核の生活提案商業施設として生まれた一方、ハンズのルーツと大型店の運営手法は、似て非なるものだった。
ハンズは1976年11月、東急不動産の完全子会社として創業した。
同年11月に1号店となる「東急ハンズ藤沢店」、1977年11月に2号店「東急ハンズ二子玉川店」、1978年11月に国内最大級の都市型ホームセンターとなる3号店「東急ハンズ渋谷店」を開店した。
ハンズに先駆け、1972年に日之出自動車が日本初となる欧米型本格ホームセンター「ドイト」を埼玉県で創業する。1974年に三井不動産が「ユニディ」を千葉県で創業。1980年に大和ハウスが「ランバー」(現ロイヤルホームセンター)を奈良県で創業するなど、木材金物や家具小売店からの業態転換に加え、不動産・建設・交通事業者など異業種においても、遊休地活用や小売流通事業強化の一環として、市場開拓余地があるホームセンター事業に参入する動きが全国各地でみられた。
なかでも“渋谷の大家”と称される東急不動産を母体とするハンズは、欧米で主流だった郊外型平屋建てでの多店舗化をめざす同業と異なり、会社設立時点で渋谷店開店が決まっていたことから、「都市型ホームセンター」業態の確立を前提とした事業展開を意識していた。
東急不動産が旗振り役となり、全国主要都市の再開発事業の核として名乗りを上げ、グループの経営資源やネットワークを生かした一等地の確保や各種催事、DIY初心者に向けた手厚いサービスの提供、ハンズ大賞(2007年に事実上終了)といった文化事業を打ち出すなど、業界をけん引する存在となっていく。
これら一連の取り組みは、業界随一の都市型ホームセンターというブランドイメージの定着にとどまらず、日曜大工から発展途上だったDIYの普及促進につながるなど、ハンズが果たした役割は大きい。
関西に“東急村”つくったハンズ
ハンズはその後も、1983年10月に関西1号店「東急ハンズ江坂店」を開店する。
東急不動産系複合商業施設「江坂東急プラザ」(現カリーノ江坂)の核として、地下鉄御堂筋線を介して日本有数の交通の要衝である新大阪駅や大阪都心部(梅田・難波)とのアクセスが良好な北摂のビジネス街を、1989年3月開業の子供専門館「ブーミン」や1991年10月開業のファッションビル「オッツ」とともに塗り替え、関西に“東急村”の飛び地を形成した。
都市型ホームセンターという業態と多層型の店舗構造への徹底したこだわりは、1986年11月開店のハンズ初FC店舗「東急ハンズ名古屋ANNEX店」や、沖縄地場提携店舗「ハンディマンマキシー」を含めた全国各地の都市開発参画案件においてもみられた。
1988年3月開店の「東急ハンズ三宮店」や1990年9月開店の「東急ハンズ横浜店」では、本店格といえる渋谷店独自の構造「スキップフロア」を踏襲した店舗開発まで行われた。
ここまで取り上げてきた通り、ロフトは百貨店の流れを汲む直営雑貨フロア核の複合商業施設を志向してきたのに対し、ハンズは直営都市型ホームセンターを志向するなど、大型店の設計思想や運営手法に大きな違いがある。
両社ともに、首都圏を代表する大手私鉄グループと文化発信を重視する企業風土、という共通したルーツを持つものの、不動産業の遊休地活用、百貨店の別館/新業態というルーツが似て非なる「巨大雑貨ビル」という館を生み出したといえる。
これらの大型店は両社の顔ともいえる存在であったが、ともに解決すべき課題をかかえていた。後編では、巨大雑貨ビルがもたらした課題と、その克服をめざし、新たな動きを模索する両社のいまを追う。
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