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大阪・夢洲の再開発はどこへ向かうのか 盛況の裏で残る課題(3/4 ページ)

13日に閉幕する大阪・関西万博の会場となった大阪湾の人工島・夢洲。活性化の起爆剤として誘致した万博は盛況のうちに終わるが、大阪府市が策定した跡地利用計画に財界から「待った」がかかった。

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産経新聞

70年万博で生まれ変わった大阪

 万博は単なる一過性のイベントにとどまらず、開催に合わせた交通インフラ整備や会場の跡地利用により、開催地のまちづくりの起爆剤となってきた。過去の成功例では、閉幕後を見据えた設計や計画が鍵を握る。

 1970年に大阪府吹田市で開かれた大阪万博では、北大阪急行電鉄により万国博中央口駅までの臨時の「会場線」が開業した。輸送力を補うため、天神橋筋六丁目駅(大阪市)と北千里駅(吹田市)を結ぶ阪急千里線も、69年に私鉄で初めて地下鉄と相互乗り入れを始めた。現在では一般的な相互乗り入れの先駆けで、同線は今も市民の足として使われている。

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 さらに、大阪市を南北に走る御堂筋から接続する新御堂筋が、70年に大阪市北区から万博会場に近い大阪府箕面市までの区間で開通。その後に京都府亀岡市までつながり、全国有数の主要道路となった。ほかにも、会場に水を供給するため水道が拡張され、上下水道の整備も進んだ。

 2005年愛知万博は現在の愛知県長久手市などが会場となり、愛知高速交通の東部丘陵線「リニモ」が開業。名古屋市の都心部とのアクセスを向上させ、長久手市の人口増加や地価上昇をもたらした。跡地の愛・地球博記念公園は開催翌年に開園し、その後は場内にスタジオジブリ(東京)の映画の世界観を再現した公園施設「ジブリパーク」も開業したことで、地域に大きな経済効果をもたらしている。

 海外では、前回のドバイ万博の跡地が、開催前からの計画に沿ってサステナブル(持続可能)な都市として開発された。万博施設の8割がオフィスや住宅、展示場などに再利用され、国際的イベントの跡地活用のモデルとなっている。(井上浩平)

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