トライポッドの恋人――Tiltall「TE01B」:矢野渉の「金属魂」Vol.24
PC USERのカメラマンとして活躍している矢野渉氏が、被写体への愛を120%語り尽くす連載「金属魂」。氏がさまざまな出会いと別れを繰り返し、たどり着いた究極の三脚とは?
三脚遍歴、語りましょうか
どんな仕事でもそうなのだろうが、駆け出しのカメラマンは悲惨なものである。
毎日々々、印刷されると小指の先ぐらいの大きさの写真を、大量に撮影に行かされる。しかもアポイントメントがぎりぎりの時間で設定してあるから、電車で移動するしかない。80年代の初め、バリアフリーなどという言葉はまだなく、エレベーターもエスカレーターもない駅などはザラだった。僕は重い撮影機材を抱え、混雑したターミナル駅の階段を、毎日のように上り下りしていたのである。若くて体力があるとはいえ、かなりの重労働だった。
当初はありったけの機材を持ち歩いていたが、少し仕事に慣れると、絶対に必要な機材とそうでないものとが分かってくる。肩に食い込むカメラバッグはできるだけ軽くしたいから、このレンズはこちらのレンズで代用できる、というふうにグラム単位での軽量化を図った。前の日の晩に、翌日の仕事を確認して機材を選別する作業をするのだが、ここでいつも三脚を持っていくかどうかで悩んだ。
当時の僕のお気に入りは「ハスキー3段」という三脚だった。丈夫な金属パイプを使ったモデルである。同じ大きさのジッツォに比べたらかなり軽量にできてはいたが、それでも4キロ弱の重さがあり、1日肩にかけて歩くのはかなりの負担だ。そのころの僕の仕事は、モノクロのスナップ写真がほとんどだったので、フィルムはISO400の「TRI-X」(増感すればISO1600まで楽に上がる)を使っていた。したがって、9割方の仕事には三脚は必要がない。僕は毎日ハスキーを取り出しては眺め、少し悩み、結局ハスキーをその場において仕事に出かけた……。
三脚のめでるべき点は、まず金属であるということ(最近はカーボン製の三脚もあるが、あれは存在自体がひきょうだと思う)、そして機能に裏打ちされた「カタチ」である。一見同じ物のように見えて、そこにはメーカーなりの工夫があり、ネジの止め方、バーのグリップの形状など、細かいところに使いやすさのための理論が込められている。それが「デザイン」として帰結しているところが三脚のよさなのだ。
一度、三脚好きの人間を集めて同好会を作ろうとしたことがある。名前は三脚(tripod)にちなんで「トゥリー・ポッター」に決めた。仕事関係でこれはと思う人間を探し出し、声をかけてみた。僕がジッツォ、マンフロットのことを語ると、彼はザハトラー、ヴィンテンといい返し、結局話はかみ合わなかった。そう、彼はムービーの人だったのだ。
ひとくちに三脚といっても、とても間口が広い。これでは測量関係の人々まで取り込んだ場合、内部にさまざまな派閥ができることが予想された。行き着く先は派閥どうしの抗争、覇権争い……。間もなく同好会話は立ち消えになってしまった。
僕はひとり会派である「三脚愛好会写真分派会金属偏愛族穏健派」という孤高の道を歩むことになった。さまざまな三脚との出会いがあり、それぞれのよさをめでてきた。しかし、仕事がらみの機材である以上、好きな三脚ばかり使うわけにはいかない。使用するカメラのサイズに合わせて三脚を選ばなければならないのだ。しょせん、三脚は脇役であるということは理解していたが、いつも自分の大切なものを蔑(ないがし)ろにしているような後ろめたさが、僕にはあった……。
そして僕はやっとたどり着くのである。究極の金属三脚、ティルトールに。
この三脚との出会い、すれ違い、そして偶然の再会、という十年越しのストーリーを含めての「究極」である。それまで僕は「三脚」という名詞を男性名詞だと信じて疑わなかったが、ティルトールは唯一、女性名詞の三脚だった。華奢(きゃしゃ)に見せて実は十分な強度を持った、武骨とはほど遠い流麗な美しさがある金属なのだ。
十年越しのラブストーリー
ティルトールとの出会いは、1985年の新宿、まだ靖国通り沿いのビルにあったころの「カメラのきむら」だ。時間があれば店をのぞいていたから、今でも記憶は鮮明に残っている。入ってすぐに写真雑誌と、DPEのカウンターがある。そこを抜け、2階への階段を上って中古カメラコーナーに行くのがいつものコースなのだが、その日は何の気なしに階段裏の三脚のコーナーに回り込んだのだ。
「数量限定 ライカ三脚」の文字が見えた。細身の黒いボディ。華奢な雲台に赤い「Leica」のエンブレム。
「なんてきれいな三脚!」
僕がそれまで見てきた三脚とは次元が違うのだ。はっきりとした自己主張がある。長く伸びたパン棒の先には滑り止めのラバーなどない。最後まで金属!。ターレット(ギザ)加工を施したアルミだ。
また、その存在感を最も鮮明にしているのが丸い雲台だった。自由雲台ならよくある形状だが、ティルトとパンができる雲台のカメラの受け皿部分は、長方形なのが普通である。レンズの方向を正確に決めないと使いにくいからだ。しかし彼女はきっぱりと円形。レンズ方向の目印さえない。しかも極薄の受け皿だ。
「なぜ?」とたずねる僕。
「それが私だから」という答えが聞こえた気がした。
後に知ることだが、「LIFE」誌のカメラマンたちに愛され、一世を風靡(ふうび)したティルトールは、ライツに三脚をOEM供給していた時期があり、その後ライツグループに吸収されてしまう。僕が見た、おそらく「TE01B」と思われるこのモデルは、OEM時代のものだったのだろう。予備知識のない僕にも瞬時に理解できたその素性のよさ。しかし、そのころの僕には金がなかった。三脚にかける6万円の金がなかったのである。
もちろん、あきらめたわけではない、金回りがよくなると僕は彼女を探し回った。探しても探しても、どこにも売っていない。1年ほどして中野の「日東商事」でやっと中古のTE01Bを見つけたときは、さすがにうれしかった。
ただ、このTE01Bはかなり程度が悪く、傷だらけだった。おまけに黒の脚にシルバーの雲台を後付してある、ツートンカラーの妙な代物だったのである。僕は逡巡(しゅんじゅん)しながら店を出た。ブロードウェイを抜け、サンモール街を歩きながらまだ迷っていた。中野駅が見えたとき、「買いだ」と決め、僕は振り向きざまに走り出した。何か胸騒ぎがする。急げ!
日東商事に再びたどり着いたとき、ティルトールの姿はなかった……。売れてしまっていたのである。
それでも僕は泣き言をいわなかった。その辺が「穏健派」たるゆえんである。根拠はないが、いつかまた会える、という確信が僕にはあった。
何年の月日が流れたのだろう。僕はもう40代になっていた。結婚して子供もいる、立派な中年男だ。最近考え方が後ろ向きだなぁ、などと考えながら過ごしていたころだ。いつものように帰りがけにカメラのきむらの中古カメラ売場に立ち寄った。
と、そこに彼女が立っていた。TE01Bは少し首をうなだれ、特徴である長いパン棒を高々と後ろに跳ね上げていた。キズの具合など確かめることもせず、僕は彼女を抱き上げた。やっぱりまた会えた……。今ならあのころとは違い、多少の蓄えはある。もう離しはしない。
その後、コニカマーケティングが復刻したシルバーモデル(253-S)も手に入れたが、やはり何かが違う。TE01Bの方は、ケースから取り出して眺めているだけで、瞬時に1985年当時の自分に戻れる。つらかった修行時代のことがまざまざと思い出され、しみじみと懐かしい気分になるのである。
僕は白髪もシワも増えたけど……。彼女は、いつまでもあのころのままだ。
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