出版デジタル機構とパブリッジが目指すもの(1/4 ページ)

出版デジタル機構――出版物の電子化支援を掲げこの4月に設立された同組織は、日本の電子書籍市場に欠けていた最後のピースなのだろうか。彼らが何を目指しているのか、あるいは胸にはどんな思いを秘めているのか、その輪郭を掴むべく、今回直接経営陣に話を聞いた。

» 2012年08月20日 06時30分 公開
[まつもとあつし,ITmedia]

「日本で電子書籍が普及しないのはなぜなのか?」

「使い勝手が悪い電子書籍を使うくらいなら“自炊”した方が良い」

「電子書籍元年から3年近く経つのにKindleはまだ上陸しないのか?」

 日本の電子書籍を巡る状況は、ユーザーの側から見て決して理想的なものとは言えない。多くの試みがなされ、実際にさまざまなサービスが登場するも、ユーザー、そして業界が期待したほどにはまだ普及が進んでいない。

 2010年から電子書籍の動向を追ってきた筆者は、その原因の1つに「タイトル数の少なさ」を挙げてきた。消費者にとって、本、そして本を扱う書店は、ヒット作さえあれば良い、というものではなく、多種多様なニーズに応えられてはじめて足を運ぶ、あるいはアクセスする価値のあるものだからだ。

 この春、この問題に一石を投じる動きがスタートした。それが株式会社出版デジタル機構が手がける「パブリッジ」だ。設立記者会見の様子やインタビューが既に幾つか公開されているが、彼らが何を目指しているのか、あるいは胸にはどんな思いを秘めているのか、その輪郭を掴むべく、今回直接経営陣に話を聞いた(編注:このインタビューは5月末に行われた)。

東京・神保町にある出版デジタル機構にて。写真右が出版デジタル機構代表取締役社長の野副正行氏。左が沢辺均氏

 登場するのは2人のキーパーソン、1人が機構設立から1カ月の後、代表取締役社長に就任した野副正行氏。ソニーピクチャーズの共同社長やソニーの執行役員上席常務、ボーダフォンの執行役副社長、I&S BBDOの代表取締役社長&CEOなどを歴任。何より、ソニーが電子書籍事業を立ち上げたときの担当役員でもある。コンテンツビジネスでの経験豊富なビジネスパーソンだ。

 そしてもう1人が沢辺均氏。ポット出版の代表取締役でもある同氏は、出版社という立ち位置から、出版業界を変えようと奮闘してきた人物だ。同社から刊行されている『デジタルコンテンツをめぐる現状報告―出版コンテンツ研究会報告2009』を例に挙げるまでもなく、日本の出版社の大半を占める中堅・中小出版社の1つから、業界全体に声を上げ続けてきた人物でもある。

気持ちが切り替わった転機は「自炊ブーム」だった

沢辺均氏 出版デジタル機構の沢辺均氏。ポット出版の代表取締役でもある同氏は出版業界を変えようと声を上げ続けてきた人物として知られる

―― 以前、WIREDに植村前代表(現会長)へのインタビューが掲載され注目を集めました。事前に、TwitterやFacebookで質問項目を一般からも募る企画でしたが、植村さんへの質問は、そもそもパブリッジが手がけるものではないことも数多く含まれていたように思います。

沢辺 それはあるね。そうだと思う。

―― 植村さんは元々アカデミックな立場におられた方(氏は東京電機大学出版局に在籍し、この春からは専修大学教授)なので、「電子書籍はこうあるべき」という話と、「パブリッジでできること、できないこと」が良くも悪くも両方答えられてしまうのだと思いますが、今日は、その辺りを切り分けながら幾つか質問させてください。

 最初に、今回の取り組みに至る経緯からお願いします。特に、沢辺さんはかなり初期の段階からさまざまな取り組みをされていましたよね。その辺りからぜひ。

沢辺 僕自身、長く出版に携わってきましたけど、だんだんと本がデジタルの領域で利用されるようになってきた。例えるなら、今まで馬車だったところに自動車が登場してきたような。われわれ出版社はある種、馬車組合の馬車タクシーみたいなことをやっていたわけですよ(笑)。

 そこで「車なんて要らねえよ。何だよ俺たちの仕事を奪うのか!」とか言っててもしょうがない。僕たちは人や物を運ぶっていう商売をしていた。それを効率的にすることを商売にしてきた以上、やっぱり新しい“自動車”にも、ちゃんと取り組まなきゃいけないよねっていうのがベースにある。

 それで植村君たちといろいろ実践してきた。その1つに、「ジャパニーズブックダム構想」もあったわけです。Googleが提供する全文検索の代わりに、日本では国立国会図書館を活用して、そこを核に電子書籍の世界を作ろうとした。

―― 元館長の長尾さんが掲出されたプランも議論を呼びました。出版社からの反発も大きかったですよね。

沢辺 全面的に手を組むわけじゃないけど、氏の積極性をうまく出版業界のプラスにもっていけないかっていうようなこともやって、ジャパニーズブックダムを計画したんだけど、次から次に、敗北した。

 それで今回、いろんな方がいろんなところからこの取り組みに集まった。それぞれに認識は違うと思うけど、僕に関していえば一番のターニングポイントになったのは、“自炊”ですね。言いづらいことではあるけど。

―― 自炊訴訟の辺りですか?

沢辺 いや、もう少し前。自炊が社会にある程度受け入れられて、タブレットやスマホで本を持ち歩くというニーズがこんなにあるんだと驚かされた辺りから。それまで電子書籍は絶対リフローであるべき、と思っていたけど、そうじゃないかもしれないと思いだした。

 パブリッジで紙の本をスキャンして固定レイアウト(Fixed Layout:フィックスなどとも呼ばれる)型も作りますと言うと、「そんなの電子書籍じゃないでしょ?」と、いろいろな方からいまだに言われますが、ユーザーのニーズは画一化されていない。だとすれば、自炊=固定レイアウト型でも十分チャレンジする意味があるし、前に一歩踏み出すことが大事だと考えたわけです。

 まずは、できるだけタイトルを充実させていく方向でやっていけば、固定レイアウト型でもうまくいくかもしれない。それを求める利用者が現れるかもしれない。何より固定レイアウトのメリットは、編集者の再編集や校正が不要でコストが(リフローほど)掛からない。レイアウトが再現できるとか、図表もそのまま利用できるといったメリットもある。これは使えるんじゃないか、と、僕や植村君の中で転換したのは大きなターニングポイントでした。

 植村君が従来から構想していたのは、要は“電子ならでは”の電子書籍の形が出てこないとだめだよ、というもの。実際にはいきなりそこにたどり着けるわけではなく、さまざまな取り組みを経てその方向に進化していくのだとしたら、その過程に固定レイアウト型を1つ入れてもいいじゃないかと。“電子ならでは”の世界を諦めたっていう意味じゃなくて。でも“電子ならでは”のものがあれば、電子書籍が盛り上がるっていう話でもないよねっていう。

―― 植村さんのインタビューを拝読していると、「今は」っていう言葉が頻繁に登場するのはまさにその辺りが言外に含まれているからなんですね。

挫折したブックダム構想

沢辺氏 「出版社が電子書籍を作る上で今困難になっていることをサポートしようというのが、出版デジタル機構」と沢辺氏

―― 長尾プランやジャパニーズブックダムの話が出てきましたが、パブリッジは経済産業省が進める「コンテンツ緊急電子化事業」、いわゆる「緊デジ」が目的とする東北地方の救済・支援事業を、全国に拡げようというふうに説明されることが多いですが、ある意味ジャパニーズブックダム構想の挫折があったから今の形があるという方が、話の流れとしてもすっと頭に入ってくると思います。

沢辺 Googleのような、全文検索でタイトルにぶち当たり、そこから電子書店に飛んだり、リアル書店に行ったりして、本を購入する。その入り口としての全文検索があったわけだけど、そこに出版社のタイトル(作品)が集まらなかった。

―― それは出版社に警戒感があったということですか?

沢辺 理解を得られなかったんでしょうね。僕だって全文検索があれば、必ず本の売上は上がるとか、現状維持できるとかいう確信や展望を持っているわけではなかったけど、それでも出版業界全体の振興になるだろうという可能性は見い出していた。でも、多くの出版社からするとそれは全然具体的なイメージに結び付かなかった。出版社からの提供タイトルが増えず、ムードも盛り上がらない。だから、(ジャパニーズブックダム構想は)負けちゃった。だめになっちゃったということだと、僕は理解してる。

 だから、今回の取り組みは、まず、出版社が電子書籍を作る。それがないと、その先の全文検索=ジャパニーズブックダムもないわけです。それをする上で今困難になっていることをサポートしようというのが、出版デジタル機構。

 大手出版社はすでに体制を整え、自社で電子書籍を制作できるけど、まだまだ体制が整っていない出版社も多い。出版社が抱えている困難――どのフォーマットで作ったらよいか、あまり売れない割に売上集計が大変だとか、著者の印税支払いをスムーズにするにはどうしたらいいかなど――に、出版デジタル機構が突破口を開ける、あるいは合意形成を作っていく。

 そうして、タイトル数をまず100万タイトル、ジャパニーズブックダムに必要な第一段階を目指していく。タイトルが増えたら今度は売るだけじゃなく、その使い方を増やそうという話になる。電子書店だけじゃなく、本の世界を豊かにするための実験も可能なんじゃないですか? といったことを考えるための前提条件ができると思っている。

 「今」という言葉がたくさん出てくるのは、電子書籍を打ち上げ花火のように一瞬だけ盛り上げることを考えているんじゃなく、そうした未来に向けて、目の前の困難な課題を1個ずつ除去するために、今の課題と将来の夢を、整理してるから。将来の夢は、それぞれ少しずつ微妙に違うと思うけど、今は一緒にできるんだから、一緒にやればいいじゃん、と。喫緊の課題は、とにかくさっき言った――。

―― タイトル数。

沢辺 そう。そのための困難を1つでも潰すことが目の前の課題で、そこで一緒にできるんだから、一緒にやりましょうという、そういう気持ちで作った、歩み始めたということですね。

Google Editionと長尾プラン

沢辺氏 「著作権者や出版社へのリスペクトも必要だが、権利を尊重しながら、より多くの人に、一度生み出したコンテンツを何度も見てもらえるという環境を作ることが大切」と沢辺氏

―― 経緯をたどると、長尾プランやブックダム構想がありました。そこにGoogleブックサーチやエディションも登場しました。でもいずれもうまくいかなかった。

 長尾元館長は、元々国立国会図書館への納本制度を足掛かりに、タイトルを半ば強制的に揃えることを念頭に置いていました。それが出版社の警戒感を招いた部分もあったかと思いますが、いかがでしょうか?

沢辺 確かに長尾さんも細かい事情を飛ばしていたところがあったかもしれない。例えばDTPデータを校了して、それをもらえばもうばっちりだろう、みたいなふうに思っていたりしたんだと思う。それは少し乱暴。もう少し丁寧に出版界にとってもメリットがあるようなことをやらないといけなかった。DTPデータをもらったって、多分、国立国会図書館が扱いようがなかったと思うし。

―― 著作権法の改正を受けていまスキャンは進めていますよね。まさにフィックス型で、その先があるのかどうかはちょっと分からないですが。

沢辺 ただ、長尾さんも夢を持っていて。やがては電子の世界になっていく、それはもう分かりきっているんだから、出版の世界も含めて幸せになるようにその電子データを図書館的にどう利用したらベターかということを考え抜いていた。

 国立国会図書館の館長は副大臣級らしいですけど、そういう方が多少図書館寄りとはいえ、本のことを一所懸命考えてくれているのに、さまつな違いを見つけて、できるだけ遠くに押し退けるようなことをするよりも、お互い夢見ていることは同じなので、その手前で「これとこれは少なくとも一緒にできるよね」ってなればいいと思っていた。

 僕は別に長尾構想全体が絶対的にいいとは思っていない。でも、そんなことはどうでもいい。目の前にある課題で、これは一緒に除去した方がいいよねってことがあれば、それはやればいい、やりたいなあというスタンスだった。

―― 質問の意図は、長尾プランの欠点を指摘したいわけではなく、なぜ今、パブリッジがこういう形になっているのかという経緯を押さえておいた方がいいというものからでした。

 では、Googleについてはいかがでしょうか? Googleブックサーチがあって、エディションズが登場しました。2年前の東京国際ブックフェアにはGoogleも出展して注目も集めましたが、その後、うまくいっている話は聞きません。そういった事例を反面教師としている部分はありますか?

沢辺 僕の理解でいうと、Googleのやり方は、とても革命的で、世界を薄く広く、がばあっとかっさらって、やや暴力的な手法も含めて突破する。その突破力はたいしたものだと思う。ただ一方で、それが通用する世界は、せいぜいストリートビューまでだとも思っていて。ストリートビューですら、家や看板が映ったといっては――

―― 反発が起こりましたね

沢辺 表札を消してほしいとか、顔が分かったら嫌だといったクレームが出たわけでしょ。ましてや、人類が積み重ねてきた本の世界は、やや尊大かもしれないけど、単にそこにあるっていうことを越えた存在になっている。

 本は、それを生み出した著作権者のエネルギーが詰まっている。その場にたまたま居た人じゃなくて、そこに存在するために努力した人たちがいるわけ。それをストリートビューみたいに、撮影あるいはスキャンして検索可能な状態にし、嫌ならオプトアウトの仕組みを用意したからいいだろうとか、僕はそれはやっぱり、うまくいかないだろうと。著作権者やそれをサポートしてきた出版社へのリスペクトがもう少し必要だと思う。

 とはいえ、それは何も権利をあがめ奉って、ひたすら権利を守ることを優先するという意味ではない。そういう対処を続けてきた結果、いつのまにか、権利でガチガチになってしまっているわけですよ、今は。

―― そうですね。

沢辺 それもおかしいよね。今の僕が機構に関わるスタンスで言えば、出版社や著作権者の方と何とか合意をつくりだす。これまでのような、権利を主張する余り、ほかの人が見ることができない結果を生み出すんじゃなく、権利を尊重しながら、より多くの人に、一度生み出したコンテンツを何度も見てもらえるという環境を作ることが大切だと思う。

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