Case Study:なんとかBAAN稼動に漕ぎ着けたマミヤ・オーピー

【国内記事】 2001.08.27

 1992年10月,スポーツ・電子機器製造のオリムピックと光学機器製造のマミヤ光機が合併し,新会社マミヤ・オーピーとして新しくスタートを切った。旧オリムピックと旧マミヤ光機では,製造・販売で3系統のカスタムメイドのシステムが並存していたほか,各工場でもそれぞれ独自のシステムが稼動中だった。

 新システムへの取り組みは,合併直後から課題として挙げられていたが,システム委員会が設置されて具体的に新システムの検討を開始したのは1993年11月。課題を洗い出し,それをさらに洗い直す作業を経て,システム統合で実現したいニーズが浮かび上がってきた。

 これは,単一システムによる管理の標準化をはじめ,人事交流の促進,そして月次決算の早期化という3つに集約される。マミヤ・オーピーの管理本部でシステム化主事を務める井出秀氏は,「中でも,人事交流を早く実現したいという意向が強かった」と明かす。

 こうしてシステムを統合する必要性は認識されてきたものの,どのように統合を実現するのかという議論が発生した。新システムをどうやって導入するのが理想か? ――検討課題として,当然出てくるであろう以下の3つの案が出てきた。

検討した3つの案
1)既存システムのいい所を抜き出して連携させる

2)新規のカスタムメイドのシステムを構築する

3)パッケージ製品を採用する

 まず敗れたのが2案となった。システム構築に時間がかかりすぎ,さらに費用も膨大になるためだ。

 委員会では当初,1案が有力だった。一旦は承認を得て,プロジェクトをスタートさせようとしたものの,旧オリムピックと旧マミヤ光機のビジネスプロセスに密接に絡んでくるシステムの「いい所取り」は実際のところ不可能で,さらに自システムの優位性を主張する多くの社員を説得することも難しかった。

 結局マミヤ・オーピーは,1995年1月にERPパッケージを採用することを決定。ERPベンダーとERP製品の選定作業に入った。

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関連リンク

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▼バーンジャパン

[井津元由比古 ,ITmedia]