ERP選定作業〜バーンの決め手とライバルの自滅
【国内記事】 | 2001.08.27 |
2社の合併によって誕生したマミヤ・オーピーは,新しいシステムをERPパッケージで構築することを決めた。これは,まだ日本にERPが根付いていなかった1995年1月のこと。これからさまざまなERP製品の選定作業に入る。
まず候補に上がったのは,SAPだった。井出氏によると,約3カ月かけて検討した結果,当時のSAPの生産系アプリケーションに不満だったため,採用を見送ったという。
「私は,今でもSAPの財務アプリケーションは素晴らしいと認識している。もちろん現在の生産系アプリは機能強化されているはずだが,当時のものは,業務と合わない面が多かった」(井出氏)
まだ国内にERP導入事例がほとんどなかった当時,ERPに関する情報の少なさがプロジェクトの進行を遅れさせる要因になる。最大手のSAPを見送ったマミヤ・オーピーは,米国のコンサルティング会社であるインターナショナルコンピュータテクノロジー(ICT)にERP調査および選定を依頼することになった。
1995年末の打ち合わせで「どのようなERPが必要か」「ERPで何を実現したいのか」を再確認してから,ICTは33社におよぶベンダーのERP製品を調査。1996年3月に結果報告書が提示された。
ここで選定されたのは,第1位となったバーンをはじめとする4社で,全てのベンダーが既に日本法人を設立していた。
この結果を受けてすぐに,委員会のメンバーは,4社のデモを見せてもらったり,米国ユーザーサイトの見学などを行った。そして,最終的に2社に絞り込み,国内のユーザーを各2サイトずつ訪問。あとに残された選定までの作業は,最後の詰めを迎える。
ライバルの自滅
タイトルを見て分かる通り,結果はバーンの採用となった。ただ,それに至るプロセスで,マミヤ・オーピーのERPに対する認識と,ERP導入の決意を見て取れる。ベンダーのディスカウントに対する不信感によって,同社はバーンの導入を決めたのだ。
選定作業が詰めを迎えた最終段階,ここで採用されるかどうかでベンダーは数千万円,もしくは数億の売り上げを得られるかどうかが決まる。中には営業部門にインセンティブを支払うベンダーもあり,営業マンたちも胃の痛む数週間だ。
ここでもう1つの候補に上がっていたベンダーが勇み足をしてしまう。井出氏によると,そのベンダーは突然,「1週間以内に当社に決めてくれたら大幅にディスカウントする」と言ってきたという。
「プロジェクトは採用で終わるわけではない。これからスタートというときに,いきなりディスカウントと言われると,かえって不信感を持ってしまう。それに,問題を指摘した機能を補強するという提案もなかった」(井出氏)
真摯な姿勢で機能の不足分を補おうとせず,安易に値段という問題にすりかえたことが,マミヤ・オーピーのバーン採用の決定を早めたと言ってもいい。ただ,この段階で既にバーンでほぼ固まっていたことを営業部門が敏感に察知した結果であるならば,機能強化に動かない日本法人,もしくは本社と,潜在顧客の板ばさみになってしまった彼らを責めるのも酷かもしれないが……
ともあれ,こうした経緯を経て,マミヤ・オーピーは1996年7月にようやくバーン採用の正式決定に漕ぎ着け,8月末にはプロジェクトをスタートさせる。
そして同社は,システム導入のためのパートナーとして,BAANの導入事例を持っていた沖電気工業を選定した。システムコンサルティング企業も候補となったが,値段が高い上に,「うまくいかなかったら逃げられそう」(井出氏)だったことも沖電気に有利に働いたという。
井出氏は,「沖電気は,歴史があって,業界での信用力が高い。これは,いい所でもあり悪いところでもあるのかもしれないが,われわれは“逃げない沖電気”を選択した。結果としていい選択だったと思う」と振り返っている。
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[井津元由比古 ,ITmedia]