プロットからCYLLENGEへ 「社会をサイバー犯罪から守る」挑戦は続く「第三の創業」へのチャレンジ

創業57年目のプロットはCYLLENGEに社名を変更した。長年守ってきた社名をなぜ変えるのか。現在を「第三の創業」と位置付ける同社が描く展望とは。印刷事業を経てインターネット事業にかじを切った過去の挑戦を振り返りつつ、新社名に込めた思いを同社社長に聞いた。

» 2024年01月05日 10時00分 公開
[PR/ITmedia]
PR

 創業57年目を迎えたプロットは、2024年1月5日に社名を「CYLLENGE」(サイレンジ)に変更して「第三の創業期」をスタートさせた。

 情報セキュリティ専門家集団として知られる同社の出発点は写真植字(写植)による版下作成やDTP(Desktop Publishing)といった「紙」媒体の印刷事業だった。2000年前後、ITやインターネットの普及を見越してインターネット事業にかじを切ったことが「第二の創業」となった。さらに今、「第三の創業」としてセキュリティ事業を軸に、社会をサイバー犯罪から守ろうとしている。

 長年守ってきた社名をなぜ変えるのか、新しい社名と「第三の創業」に込めた決意とは――。第二の創業時にインターネット事業を立ち上げ、同社の成長を支えてきた津島 裕社長に聞いた。

いち早く時代の流れを読み、実行する「チャレンジ精神」

CYLLENGEの津島 裕社長 CYLLENGEの津島 裕社長

 プロットは1968年に創業した。当時、情報伝達手段の主流だった紙媒体を印刷するための版下作成を主軸に事業を展開。1990年代には出版事業に乗り出して米国に進出するなど事業を拡大させた。

 同社の特色は「チャレンジ精神」にある。多くの印刷業者が職人の手作業で版下を作成していた1982年、同社はいち早くコンピュータを利用した電算写植機を導入した。AppleのMacintoshを利用してDTPに移行したのも同じ1980年代だった。

 「創業者の谷川行雄(現会長)は、『時代の先へ』という姿勢で取り組んできました。DTPへの移行も、米国の情報をいち早くキャッチして日本の印刷業でもDTPに移行するだろうと判断してのことだったと聞いています。こうしたチャレンジ精神は当社の文化となっています」(津島氏。以下会話文は津島氏による発言)

 ただし、チャレンジには「痛み」も伴う。電算写植やDTP、そしてインターネット事業へと事業の軸が移る中で離職する従業員もいた。「同じ場所にとどまっていては生き残れないという危機感があり、『転換していく』という覚悟を持って進んできました」

「紙媒体にはできなくてWeb媒体にできるもの」を模索

 津島氏が当時のプロットに入社したのもチャレンジするためだったという。

 機械メーカーで営業を担当していた同氏は、1995年に発売されたMicrosoftの「Windows 95」に衝撃を受けた。「インターネットの普及は、産業革命並みの大きな変化をもたらすのではないかという予感がありました」。変化をチャンスにしたいと考えた同氏はインターネットサービスプロバイダーに転職し、エンジニアとして働きながら技術と知識を身に付けた。

 あるとき目に入ったのが、インターネット事業を展開しようとしていたプロットの求人情報だった。「一から事業を立ち上げるスタートアップ的な仕事に興味を持って入社しました。当初は人も予算も十分ではなく、ビジネスモデルの構築や顧客の新規開拓など何でもこなしてきました」

 プロットがインターネット事業の初期に手掛けたのがレンタルサーバサービスと企業Webサイトの制作だった。インターネット自体が黎明(れいめい)期だった当時、企業のWebサイト制作には多くの需要があった。しかし、プロットは徐々に社内システムの受託開発に移行することにした。

 「手軽に使えるWebサイト制作ソフトが登場したこともあって、紙をデジタルに置き換えるだけの仕事は、われわれにしかできないことではないと考えました。『顧客の課題をわれわれにしかできない方法で解決できないか』と考えたとき、システム開発にたどり着いたのです」

 こうした時に出会ったのがあるカー用品店だった。同店では「表計算ソフトには『在庫あり』と表示されているのに、実際には売れてしまっているので顧客に商品を提供できない」といった行き違いが生じていた。

 プロットが提案したのが、インターネットを使った在庫管理システムだった。カー用品店の複数ある拠点からネットワークを介して更新することで、在庫データが常に最新の状態になる。この提案を受けた同店は喜び、在庫管理システム納入から20年以上たつ現在も取引が続いているという。

 手応えを感じた津島氏は「インターネットを活用したシステム開発は、われわれにしかできない強みになるのではないかと考えました」と当時を振り返る。こうした考えからWebサイトというフロントエンドだけでなく、バックエンドのシステム開発にも力を入れた。さらにシステムが稼働するハードウェアやリソースを提供するホスティング事業も開始した。「インタフェースやシステム、サーバを一通り提供できることを“武器”に営業活動に励みました」

「日本のセキュリティは日本の企業で守りたい」という思い

 プロットが受託開発と同時期の2003年から手掛けたのがセキュリティ事業だった。「2002年に米国で内部統制の整備を企業に義務付けるSOX(Public Company Accounting Reform and Investor Protection Act of 2002)法が施行されました。ITに関しては、企業にIT統制に加えて電子メールのアーカイブを残す動きが広がりました。日本にもこうした流れがくると考えたのがセキュリティ事業を始めるきっかけとなりました」

 実際、日本でも2008年に金融商取引法の内部統制報告制度(俗称:J-SOX法)が施行された。

 もう一つが個人情報保護のニーズの高まりだった。個人情報保護法(2005年施行)はまだ施行されていなかったが、ECサイト構築の一環として住所や氏名、クレジットカード番号といった個人情報を扱うシステムを開発していた同社は、「これからは個人情報の保護が求められるようになる」と考えた。

 「DTPにかじを切ったときと同じように、今後セキュリティ意識が高まり、対策が求められるだろうという情報を米国でキャッチしました。そこで、企業間でファイルなどを安全にやりとりするシステムや法人向けのセキュリティ事業に力を入れる方針を定めました」

 ところが、セキュリティ事業の開始当初は「果たしてセキュリティ事業を立ち上げるという判断は正しかったのか」と自問自答するほど苦戦したという。「売り上げや業務効率の向上のために投資する企業もセキュリティは後回しにしがちで、理解を得るには苦労しました」

 こうした中で開発・販売を開始したのがファイル共有システム「Smooth File」と電子メールアーカイブシステム「Mail Gazer」(のちに「Mail Defender」にブランド統合)だ。プロットの知名度が低い中でも、コストパフォーマンスや使い勝手の良さが認識されるにつれて導入数が増えていった。これらのシステムはロングセラー製品となり、現在はSaaS(Software as a Service)の普及に伴って深刻化しているシャドーIT対策の一環で採用されることも多い。

図表1 CYLLENGEが提供するセキュリティソリューション(出典:CYLLENGEの提供資料) 図表1 CYLLENGEが提供するセキュリティソリューション(出典:CYLLENGEの提供資料)

 特に採用率が高いのが地方自治体だ。総務省が提唱して2017年から実施が求められている「自治体情報システム強靱(きょうじん)性向上モデル」によって、個人番号利用事務系とLGWAN接続系、インターネット接続系の三層を分離する対策と、分離されたシステム間で授受する際のファイルの「無害化」が必要になった。

 それを受けてプロットが開発したのが「Smooth Fileネットワーク分離モデル」と「Fast Sanitizer」だ。Smooth Fileネットワーク分離モデルの発売前、多くの自治体は海外製のファイル無害化製品を利用していた。その状況に対して津島氏は思うところがあったという。

 「海外の一民間企業が提供する製品やサービスに依存するリスクはやはりあるのではないでしょうか。日本の産業は、われわれ日本のITベンダーが守りたいという気持ちが強くあります」

図表2 Smooth Fileネットワーク分離モデル(出典:CYLLENGEの提供資料) 図表2 Smooth Fileネットワーク分離モデル(出典:CYLLENGEの提供資料)

 同社の無害化ソリューションの特徴の一つが使い勝手の良さだ。「自治体は安全性を最優先することが多くあります。ただ、利便性が低いと職員の負荷は高まります」。Smooth Fileネットワーク分離モデルは、分離されたネットワークセグメント間でのファイル授受と無害化処理をワンストップで提供することでスムーズな操作性を実現している。

 自社開発であることを生かした柔軟性も強みだ。自治体から寄せられた要望をシステムに集約し、どの自治体からも求められる汎用(はんよう)性の高い要望から順に実装してきた。これまで600以上の機能を追加したという。

 その結果、コストパフォーマンスと使い勝手の良さが評価され、今では都道府県レベルも含め約600の地方自治体に採用されている。システム更改時に海外製品から乗り換えるケースも増えているという。

社名変更という第三の創業を機に、世の中に貢献できる製品をさらに追求

 「CYLLENGE」という新しい社名に込められた意味とは何だろうか。「当社の事業ドメインである『Cyber』と、創業当時から大事にしてきた開拓者の精神『Challenge』を組み合わせました」

図表3 CYLLENGEのロゴ(出典:CYLLENGEの提供資料) 図表3 CYLLENGEのロゴ(出典:CYLLENGEの提供資料)

 旧社名「プロット」に込められた「顧客を支え、成功ストーリーを支援していく」という姿勢も大切にしつつ、今後はより付加価値と社会貢献性の高い製品やサービスを提供したいという。同社のセキュリティ事業の顧客は地方自治体や教育機関、医療機関、金融機関といった組織や企業だ。ただし、津島氏は「われわれが守るのは顧客だけでなく、顧客の“先”にいる住民や患者の情報、ひいては生命や財産だと考えています。これらを守ることを通じて社会に貢献していきたいと考えています」と語る。

 一方で同社は2023年6月、ランサムウェア攻撃に遭った。「社会をセキュリティの脅威から守る立場にありながら、このような被害に遭ってしまったことは悔しく、お客さまや社会にご迷惑を掛けたことを大変申し訳なく思っています」と津島氏は話す。

 今回の被害から同社が学んだ教訓とは何か。津島氏はランサムウェア攻撃の「真の恐ろしさ」を理解したと語る。「早期に復旧しようとしても、従来のツールやシステムが使えないために困難を極めます。業務や提供しているサービスが停止するだけでなく、得体(えたい)の知れない脅迫を受けたり、脅威が除去された後も『まだネットワークに潜んでいるのではないか』と感じてしまったりといった精神的なダメージもあります」

 想像をはるかに上回る状況に陥る、理不尽で悪質な攻撃を受けた同社が今後目指すものとは何か。「今回の経験を通して、被害に遭う企業をできる限り減らしていくことこそが当社の使命だと強く実感しています。実際に攻撃を受けたからこそ得られた知見を生かし、社会により貢献できる製品を作ることで今後の成長に役立てるつもりです」

 第三の創業におけるチャレンジの第一歩となるのが海外展開だ。2023年にはベトナム・ホーチミンの事業所を現地法人化した。「ベトナムには日本企業が多く進出しています。海外に進出している日本企業も守っていきたいと考えています」

 最後に津島氏は「当社は『私たちにしかできないこと』に挑戦し続けてきました。今後はさらに信頼され、活用されるものを提供することで社会に貢献していきたい。その思いを込めた社名で今後も挑戦し続けます」と、第三の創業に懸ける思いを強調した。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.


提供:株式会社CYLLENGE
アイティメディア営業企画/制作:ITmedia エンタープライズ編集部/掲載内容有効期限:2024年2月1日