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「サステナビリティ」は単なるブームやバズワードではない――ERP市場の動向から考えるアナリストの“眼”で世界をのぞく

かつて企業は利益追求を第一に掲げ、温暖化対応は「プラスアルファ」の活動だった。しかし、2022年のERP市場で「サステナビリティ」がキーワードになるなど、“潮目”は変わっている。サステナビリティを注力テーマとする企業が増える中、IT市場にはどのような影響が出るのだろうか。

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この連載について

目まぐるしく動くIT業界。その中でどのテクノロジーが今後伸びるのか、同業他社はどのようなIT戦略を採っているのか。「実際のところ」にたどり着くのは容易ではありません。この連載はアナリストとしてIT業界と周辺の動向をフラットに見つめる矢野経済研究所 小林明子氏(主席研究員)が、調査結果を深堀りするとともに、一次情報からインサイト(洞察)を導き出す“道のり”を明らかにします。

筆者紹介:小林明子(矢野経済研究所 主席研究員)

2007年矢野経済研究所入社。IT専門のアナリストとして調査、コンサルテーション、マーケティング支援、情報発信を行う。担当領域はDXやエンタープライズアプリケーション、政府・公共系ソリューション、海外IT動向。第三次AIブームの初期にAI調査レポートを企画・発刊するなど、新テクノロジー分野の研究も得意とする。



 筆者はアナリストとして長年ERP(Enterprise Resources Planning:企業資源計画)市場を担当しているが、2022年の調査で初めて「サステナビリティ」というキーワードが登場した。主に外資系大手ベンダーだが、複数の企業が、取材で「サステナビリティが昨今の注力テーマである」、または「今後注目すべきテーマである」と言及した。

ERP市場に反映される「ESG経営」への取り組み要請

 具体的に言えば、脱炭素に関する取り組みが目立った。

 SAPジャパンはCO2(二酸化炭素)排出量の管理や削減支援を行う製品「SAP Product Footprint Management」(PFM)などの関連ソリューションを提供している(注1)。大手企業を中心にCO2排出量を管理するようになっているものの、特定の従業員がノウハウを学んで手作業で管理している現場が多く見られるという。

 インフォアジャパンは「製品の提供は今後のスコープに入っている」としており、「製造業ではBOM(Bill Of Materials:部品表)のレベルで排出量の管理が要求されるだろう」と指摘する。つまり、部品や製造工程ごとにデータ取得が求められ、生産管理システムにも密接に関連することになるという。

 日本オラクルは若干方向性が異なる。同社もERPを「サステナビリティを実現するアプリケーション」と位置付けている。ただし、CO2排出量にとどまらず、「経営データを活用することで広義のサステナビリティに関わる企業活動を支援する」と説明した。

 ERPは成熟市場であり、新たな話題が出ることは珍しい。とはいえ、世界的にESGの取り組みが進む現在の経営環境を反映した変化としては当然とも思った。改めて、ESGとは「Environment」(環境)、「Social」(社会)、「Governance」(ガバナンス)の3つの組み合わせである。ESG経営というと、これらの要素を重視した経営スタイルを指す。

 中小企業などでの実態については後述するが、「サステナビリティが大事」という点については異論はないだろう。

図1 ESG経営とは(出典:筆者が作成した図)
図1 ESG経営とは(出典:筆者が作成した図)

東証で「非財務情報の開示」が義務付けられる

 脱炭素がフォーカスされている背景をみてみよう。一つには、2020年に菅首相(当時)が2050年までにCO2排出量のネットゼロを目指すカーボンニュートラルを宣言するなど、社会全体の動きを反映している。より直接的には、企業が情報開示を義務付けられるようになったことが大きい。

 東京証券取引所(東証)は2021年6月にコーポレートガバナンス・コード(CGC)を改 訂した。これは、2022年4月に実施された東証の市場区分の見直しを見据えて実施されたものだ。

 改訂後のプライム市場(従来の東証一部に相当)に上場する企業には、気候変動リスク(GHG《温室効果ガス》の排出量増加に伴う気候変動によって経済や社会が被るリスク)の情報開示が求められることとなった。昨今話題に上ることが多い「非財務情報の開示」である。

 なお、開示を求められる非財務情報には、別の大きなテーマとして「人的資本」もあるが、本稿では割愛する。

図2 サステナビリティに関するコーポレートガバナンス・コードの改定内容(出典:東京商工取引所「コーポレートガバナンス・コード」《2021年6月》より筆者が作成した図)
図2 サステナビリティに関するコーポレートガバナンス・コードの改定内容(出典:東京商工取引所「コーポレートガバナンス・コード」《2021年6月》より筆者が作成した図)

 TCFD(Task Force on Climate-related Financial Disclosures:気候関連財務情報開示タスクフォース)は2015年12月にFSB (Financial Stability Board:金融安定理事会)によって設立された国際機関だ。TCFDは2017年6月に、企業に対して気候関連の財務情報開示を推奨するTCFD提言を公表した。2022年10月24日時点で1000以上の日本の企業や団体が賛同している(注2)。

取り組みが遅れる非上場企業、中堅・中小企業の実態

 ただし、話題性の高さと現実の進捗(しんちょく)状況は必ずしも比例しない。非上場企業や中堅・中小企業では「非財務情報の開示」に向けた取り組みは進んでいない。

 政府が2022 年3月に実施した企業向けアンケートから現時点での脱炭素の取り組み状況を見ると(注3)、CO2排出量を算出する企業の割合は上場企業では68.2%に達するが、非上場企業では15.9%であり、差が開いている。CO2排出削減計画を実行している企業の割合についても上場企業では43.2%だが、非上場企業では9.7%にとどまっている。

図3 脱炭素化に向けた取り組みの状況(出典:内閣府「我が国企業の脱炭素化に向けた取組状況―アンケート調査の分析結果の概要―」《2022年6月》)
図3 脱炭素化に向けた取り組みの状況(出典:内閣府「我が国企業の脱炭素化に向けた取組状況―アンケート調査の分析結果の概要―」《2022年6月》)

 政府がカーボンニュートラルを宣言した2020年からまだ日が浅いことも理由の一つだろう。しかし、それ以上に「経営上の重要性が低い」「コストがかかる」「ノウハウがない」「人材がいない」といった事情がありそうだ。社会や地球のために必要でも、経営にプラスにならないことには取り組みづらいというのが本音だろう。

 ERP市場の調査でサステナビリティに言及したのはいずれも外資系ベンダーだった。欧米の方がこのテーマで先行していることに加えて、外資系ベンダーの製品を購入するのは大手企業が多いことも関係しているだろう。日本のERPベンダーのターゲットは中堅・中小企業が中心で、現時点ではサステナビリティはこれらの企業の重要な経営テーマとはなっていないと推測する。

 しかし、非上場企業や中堅・中小企業も無関係ではいられない。情報開示が義務付けられているのはプライム市場の上場企業だが、CO2排出量は、自社のみではなくサプライチェーン全体での管理が求められる。

 サプライチェーン排出量(注4)はスコープ1、2、3から構成される。スコープ1は事業者自らによる直接排出(燃料の燃焼など)、スコープ2は電気、熱などの使用に伴う間接排出、スコープ3は仕入れ、輸送、製品の使用、廃棄など関連する他社の排出を指す。

図4 サプライチェーン排出量とは(出典:環境省、経済産業省「グリーン・バリューチェーンプラットフォーム」)(注5)
図4 サプライチェーン排出量とは(出典:環境省、経済産業省「グリーン・バリューチェーンプラットフォーム」)(注5)

 従って、サプライチェーン排出量を算出する際には、上場企業の取引先にも情報の提示が求められることになる。SAPのPFMは、購買システムで取引先企業の情報を得る機能を備え、スコープ3の管理に対応する。

 また、脱炭素の取り組みが進む欧米では、大手企業が取引先に脱炭素化を要求している。Appleは2022年10月に「サプライヤーに温室効果ガスの排出量大幅削減を要請した」と発表した(注6)。このような動きは、日本の多くの企業に影響を与えることとなる。

財務情報と非財務情報を管理する経営基盤の役割

 最後に、いま一度、ERPというテーマに立ち返ってみよう。ERPは「お金」を扱うシステムで、企業の財務情報を管理する役割を持つ。加えて人材やサプライチェーン、生産など、企業活動全体のデータを統合的に管理する経営基盤でもある。

 非財務情報の収集や管理、開示が必要条件となっていくことを考えると、企業経営の中核にあるERPを中心として、財務情報と非財務情報を一元的に管理するというコンセプトは理にかなっているだろう。

 ERPパッケージベンダーが自社製品の機能を拡張する以外の展開もあり得る。CO2排出量の管理には、スタートアップ企業がリリースした「zeroboard」(ゼロボード)や「アスゼロ」(アスエネ)などの専用ソリューションとの連携も考えられる。

 企業が利益追求を至上主義としていた時代は終わった。環境や社会に貢献する企業でなければ、サステナブルな存続や成長は見込めない。「サステナビリティ」はブームやバズワードではなく、ERPを含むIT市場に深く関わるテーマとして見ていく必要がある。

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