社会派フィクション「2024年 F本氏の独白」ちきりんの“社会派”で行こう!(2/2 ページ)

» 2011年10月24日 20時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]
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超格安エリアの生活

 F本の市長室には雑然と書類が積まれているが、その中には中国語や韓国語の書類もあった。それ以外にも外国語の書類が多い。「時代も変わったものだ」とF本はつぶやいた。

 東京まで電車で40分程度であり、格安生活圏として認知され始めたS市は、海外からやってきた留学生や働き手の“最初の居住地”として選ばれた。市内には中国や韓国からの留学生、インドネシアやフィリピンからの介護支援要員らがたくさん住んでいた。短期的に東京観光にやってくるバックパッカーも、S市を拠点に東京観光をするようになった。

 最初はもともといた住民たちとの小さなぶつかり合いがたくさんあった。しかし数年もすると、これらの人たちを相手に商売をしようという人たちが現れた。ボランティアも多くなった。街には中華料理、韓国料理、インドネシア料理を格安で食べられる食堂がたくさんある。街角で話される言葉も本当にさまざまだ。

 さらにF本は、増え続ける外国の子どもの教育問題を解決するため、公立小学校や中学校に「外国語での授業」を導入し、教師はそれらの国から呼んできた。

 S市の小中学校の授業は、中国語、韓国語、英語、日本語などさまざまな言語で行われ、日本に来たばかりの子どもは現地語のクラスへ、日本語を覚えれば日本語クラスに移行する、という予定だった。

 ところが、「友達と一緒に授業を受けたい」と日本人の子どもたちが一部の授業を中国語や英語などで受け始めた。F本はこれを利用した。事実上、「どの言語で授業をとってもいい」という方針に変更したのだ。文部科学省からは相当の嫌がらせを受けたが、“日本の国際化の最先端事例”としてニューズウイーク誌がS市を取材してくれたことで流れが変わり、霞が関からの反発を抑えることができた。

 いまやS市で育った子どもらの就職状況は極めて良好だ。中国語、韓国語、インドネシア語、フィリピン語などを、英語とともに操るS市出身者に多くの企業が関心を示しているからだ。

 そんな中で、所得が増えると都内に引っ越す人も増えてきた。それを「もったいない」と嘆く人もいるのだが、F本は「これでいい」と確信していた。

 いまや東京周辺には格安度合いの異なる複数の格安生活圏が存在している。みんなS市の成功を目にして考えが変わったのだ。

 昔の日本は、5%の高級エリア、90%の中流エリア、5%の貧困エリアに分かれていた。90%の中流エリアの生活コストはバカ高く、そのためにホームレスになる人が増えていた。ところが今は……

  • 高級エリア――5%
  • 中流エリア(世帯年収800万円以上の4人家族、400万円以上の単身向け)――30%
  • 格安エリア(世帯年収600万円以上の4人家族、300万円以上の単身向け)――30%
  • 超格安エリア(世帯年収400万円以上の4人家族、200万円以上の単身向け)――30%
  • 貧困エリア――5%

 ……というレイヤーに分離していた。

 S市はその中で超格安エリアとして位置付けられていた。F本は思った。そこで育った子どもたちが、出世するなり、事業で成功するなり、宝くじが当たるなり、玉の輿に乗るなりして引っ越すのもまたいいじゃないか、と。

 とはいえ、S市にはかなり年収の高い人も住んでいた。「この自由な雰囲気が好きなんだ」と言う人もいたし、「ここに住めば、3年働けば1年は海外放浪する資金が貯まるから」という人もいた。

 いずれにせよS市は順調だった。どのアパートも古いけれど、近隣行政区のように“路上にはホームレスがあふれているのにアパートには空室がたくさんある”という状況ではない。旅行者も多く、子どもも多くて活気にあふれている。

 フィリピンやインドネシアから介護士としてやってきた人たちは、最初はS市に住んで東京で働く人が多かったが、しだいに地元で働く人も増えてきた。このため、S市は日本で唯一介護福祉士の募集に困らない市になっていた。

 一番心配した治安も、有人交番をあちこちに復活させ治安に気を遣ったせいか、今のところ大きな問題にはなっていない。ただこれは、今後も一番の成功の鍵になるだろう。

 治安に関して大事なことは、とにかく犯罪に走らなくても食べていける街を作ることだとF本氏は考えていた。だから彼はS市を高級エリアにする気はなかった。ここには安くておいしい定食と、同じように貧しい仲間たちがいる。そういうことが大事なんだ。

 「そろそろ俺の役目は終わった。老兵はただ過ぎ去るのみだな」

 F本はくるりと振り返り、12年使ってきた市長の机に手をついた。机の上には先月オープンしたS市の長距離バスターミナルのオープン式典の写真が散らばっていた。新幹線や飛行機は庶民には高すぎる。そう考えたF本は、深夜の夜行長距離バスを集中して発着させるターミナルをS市に建設したのだ。

 今までは東京駅前や新宿の狭い発着場を使っていたバス会社がこぞってS市発のバスを増便し、今やS市のバスターミナル付近は昔の上野駅前のようなにぎわいを呈していた。

 F本はそれらの写真の上にゆっくりと視線を滑らせた後、ドアに向かって歩き始めた。さあ、「4期目には出馬しない」と表明する記者会見の時間だ。そろそろ行こう。

 このエントリはちきりんさんの将来展望を基にしたフィクションです。こちらの3つの記事で触れた考え方が元になっています。

 →「1000万人を『月給の仕事』に!

 →「年収200万円時代を生き抜ける都市設計のあり方

 →「年収200万円でも快適に――“格安生活圏”ビジネスの可能性

著者プロフィール:ちきりん

兵庫県出身。バブル最盛期に証券会社で働く。米国の大学院への留学を経て外資系企業に勤務。2010年秋に退職し“働かない人生”を謳歌中。崩壊前のソビエト連邦など、これまでに約50カ国を旅している。2005年春から“おちゃらけ社会派”と称してブログを開始。著書に『自分のアタマで考えよう』『ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法』がある。Twitterアカウントは「@InsideCHIKIRIN

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