40年前の“エスカレーターガール”に会ってきた――小田急百貨店
エレベーターガールならぬ“エスカレーターガール”が、小田急百貨店新宿店で40年ぶりに復活する。1本のエスカレーターにかける、小田急百貨店の並々ならぬ熱意のワケとは……。
その昔、才色兼備な女性の職業として人気があったのが“デパガ”ことデパートガール。中でも一番の花形が、エレベーターに乗ってボタンを操作し、各階を案内する“エレベーターガール”だったはずだ。
しかし40年前のデパートには、エレベーターガールどころか「エスカレーターガール」という職業の女性がいたという!※ 東京・新宿の小田急百貨店でエスカレーターガールが期間限定で復活すると聞いて、さっそく会いに行ってきた。
エスカレーターガールってどんな仕事?
かつて老舗デパートでは、エスカレーターの前に女性社員が立ち、お客を迎えていたのだそうだ。「小田急百貨店では、40年くらい前まで、エスカレーターガールがお客様をご案内していました。かつてエスカレーターガールはデパートの花形職種だったと聞いています」(小田急百貨店広報部)。
40年前といえば昭和40年代(1960年代)。当時はエスカレーターに不慣れな人が多く、乗り降りにつまづくお客もいたという。エスカレーターガールの仕事は、お客が安全にエスカレーターに乗れるようにサポートしたり、館内の案内をしたり、手すりを掃除したり、というものだったそうだ。「エスカレーターガールは、エレベーターガールと同じ部署でした。新人はエスカレーターガールから始まってエレベーターガールも勤められるようになり、館内のさまざまなご案内ができるようになって初めて、受付の担当になれたんですよ」と語るのは、小田急百貨店でエスカレーターガールを勤めていた福元恵美子さん。
当時と今とではデパートのお客のエスカレーターの乗り方が変わりましたか? と福元さんに尋ねると、「最近はエスカレーターの左側に立って、急いでいる人は右側を歩くのが一般的ですけれど、ああいう乗り方は以前はありませんでしたね。お客様はみなさん、周りを見回しながらゆっくりエスカレーターに乗っていらっしゃったように思います」と笑って答えていた。
リニューアルのターゲットは“働く女性”
今回小田急百貨店でエスカレーターガールが復活したのは、1月から工事を行っていた新設のエスカレーターが開通した記念の企画だ。10月22日から26日までの5日間、本館(ミロード寄りのエリア)の4〜6階のエスカレーターの前に1人ずつ女性社員がエスカレーターガールとして立ち、接客を行うという。
小田急百貨店新宿店では、2007年の秋から2009年9月までかけて大規模な改装を行っており、エスカレーターの新設もその一環だ。改装の大きな目的の1つは“働く女性”を顧客として獲得すること。具体的には、これまで点在していた20〜30代女性向けのショップを集め、明確に“働く女性”をターゲットとするエリアを作る。本館4階は、20〜30代女性をターゲットとしたエリアで、「ICB」「23区」「アンタイトル」「ニューヨーカー」などのブランドを配置。5階は30代後半のステイタスのある女性向けエリアとして「セオリーリュクス」「エポカ」など5ブランドを展開する。6階はインポート下着などを扱うエリアとし、今後はネイルサロンやリフレクソロジーサロンなどもオープン予定だ。
この本館4階〜6階のミロード寄りエリアにはこれまで移動手段が階段しかなく、回遊性が悪いのが課題だった。「小田急百貨店は駅の真上にありアクセスは非常に良いが、店内の動線が課題だった。端から端までで200メートル、ゴルフ場のショートホールに匹敵する長さでありながら、縦の動線が2本しかなかった」(小田急百貨店新宿店店長の新見邦由氏)
今回新設するエスカレーターは、3本目の動線となる。「(エスカレーターを新設した)ミロードとジョイントする本館4階から6階のエリアは、来年9月に向けてのリニューアルでも目玉となるゾーン。このエスカレーターで縦の動線を作り、回遊性を高める。(改装後は)新宿西口で働く女性が、必ず立ち寄ってくれるような百貨店になる」と、新見氏は意欲を見せた。
関連記事
- 暗雲が立ち込めてきた!? 三越と伊勢丹がリストラでせめぎ合い
4月に発足した国内最大の百貨店グループ、三越伊勢丹ホールディングス。「負け組の三越」「勝ち組の伊勢丹」などと指摘されていたが、リストラをめぐって、両社の関係は“ぎくしゃく”しているようだ。 - ファッションの買い物スポット、首都圏の上位は副都心線
衣類などファッションアイテムの購入場所を聞いたところ、年代による違いがあった。10〜20代は「ファッションビル」だったが、30代以上は「デパート」がトップ。中でも30代は、ほかの年代と比べ幅広く購入先を選んでいるようだ。C-NEWS調べ。 - “東洋一の大食堂”が復活、昭和30年代の人気メニューも
関西最大級のファミリーレストラン「ロイヤルキッチン」が高島屋大阪店でオープンした。2004年を最後に74年の歴史に幕を閉じた大食堂だが、昭和30年代のノスタルジーを求めるファンで初日からにぎわいをみせた。 - プリンアラモードはどこへいった?
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.