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インタビュー

モットーは「前代未聞のことをする!」――ラジオパーソナリティ・齊藤美絵さん(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/4 ページ)

FMヨコハマ「WE LOVE SHONAN」で、地元リスナーの高い支持を得ている齊藤美絵さん。たくさんのレギュラーを抱え過密スケジュールをこなすが、漂う雰囲気は穏やかで静かだ。「人にハッピーを伝えることが使命」と話す彼女のルーツを、インタビューで探っていこう。

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「人のために何ができるんだろう?」――夢と目標

 そんな彼女も思春期を迎え、自分の人生について思案し始める。「中学時代、家族でイタリアに行く機会があったんですが、ジプシーと呼ばれる方々を見て衝撃を受けました」

 彼女と彼女と同年代の女の子たち……・ガイドブックには、「近寄ってはいけない存在」などと書かれているが、自分と変わらない年格好のジプシーの少女は、きれいな瞳をしていた。「ガイドブックと現実の間の、このギャップは何だろう?」齊藤さんは疑問に思った。「自分はどんな役割を担って、この世に生かされているのだろうか? 人のために一体、何ができるのだろうか?」と。

 「この頃から私は、バレエや演劇をやっていたこともあって、『表現をしてゆきたい』という“夢”と、その一方では世界のそういった子供たちに教育の機会を提供したくて、『ユネスコで働きたい』という“目標”を、同時に持つようになったんです」

 やがて、県内きっての進学校、上野が丘高校に進学。「部活は、ESSと放送部に所属しました。放送部では『前代未聞のことをやろう!』の精神で(笑)、それまでは基本的には音楽をずっと流すだけだったのに、ラジオ番組のような校内放送をやっていましたね。」

 偏差値上位大学への進学に向けて生徒たちが勉学に励む中、彼女は多彩な活躍を見せる。「校内弁論大会では、2年連続で優勝し、県の大会へ出場しました。テーマは「敬語」について、そして「聴く」ということについてでしたね。あと、地元・大分のケーキレシピコンテストで、私の作ったレシピが優勝して採用されたりしたんですよ」。その当時の彼女には、まだ明確な自覚はなかったであろうが、彼女の関心事として「言葉」と「食」が大きな柱になっていることは、すでに明らかである。

 

やりたいことは全部やる!

 名門進学校の優等生として、大学入試については、どのような展望を持っていたのだろうか?

 「ホームページで知ったSFC(慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス)がとても魅力的に感じられて、SFCでDJをやっている学生さんにメールを送り、アドバイスをいただきました。そんな矢先に大分で各大学の合同説明会があったので、慶應義塾大学の方にご相談したところ『あなたがこれまで取り組んできた課外活動をまとめてA.O.入試を受けてみたら?』と言われたんです。偏差値以外のところで受験ができるということが、凄くうれしくって」

 地方の県立上位進学校は、まだまだ東大・京大といった国立の偏差値上位大学への指向性が高く、そこを目指してひたすら勉学に励むことが重視される傾向にある。そういう意味で、齊藤さんの課外活動の数々は、一見華やかに見えるものの、彼女本人としてはどことなく疎外感を感じる部分があったのだろうと筆者は思う。


大学時代

 「学部は、総合政策学部がユネスコに行きたいという目標に合っていたので、そちらを選びました」

 合格し、上京。神奈川県の茅ヶ崎(辻堂)で一人暮らしをはじめた。「入学時、先輩から『やりたいことは全部やった方がいい』と言われたので、授業はもちろんサークル活動も思い切りたくさんやりました。映画製作、放送、フラメンコ、アフリカ研究、大学院の教育プロジェクト……などなどです。最初は全て、全力投球でやりました。この頃はまさに“分刻みの女”でしたね(笑)」

ラジオとの出会い、プロ意識の目覚め

 エフエム東京の連結子会社に、ミュージックバード(参照リンク)という衛星デジタル放送のラジオ局がある。2001年4月、大学2年生になった齊藤さんは、同局の番組の運営を依頼され、また興味のあったパーソナリティのオーディションを受け、合格。「当時、六大学の放送サークルを集めて、月曜は青山学院、火曜は立教、水曜が慶應義塾みたいな感じで、各大学が持ち回りで放送を行いました。はじめは渋谷のスペイン坂のスタジオでやっていたんですが、外を歩いている人々から見て頂けるので、毎回スタッフと一緒に仮装して、見た目にも楽しく放送していました」

 うろ覚えながら、筆者もスペイン坂を通る際に、確かにそうした光景を横目にしつつ歩いた記憶がある。

 やがて大学3年になり、就職活動に向けて辞めてゆく人が増える中、彼女は持ち前のリーダシップも相まって、学生のラジオプロジェクトのリーダーに就任。そして、ある行動に出る。「大学生の作る番組には、内輪受けみたいなところがあると感じていたんです。学生がラジオ番組制作に携わるきっかけとしては貴重な機会でしたが、リスナーのニーズを考えていないのでは……と疑問を持ちました。私自身、地方の県立高校出身で、どの大学に入ると、どんな生活が待っているかなど、全然、情報が入らなくて、本当に困った経験があります。それで『大学生が制作する、大学受験生向けの番組を作りたい』と思ったんです」

 彼女はTOKYO FMの担当部長にプレゼンテーションを行い、これを番組企画として通すことに成功する。「ミュージックバードで、毎日午後9時から10時まで枠をいただきました。月曜は私達学生の今が分かる情報、火曜はインディーズミュージック情報、水曜は人生の先輩の話を聞くというような感じで、曜日ごとにテーマを決めてやらせていただきました」

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