ロックギタリストはなぜ、音楽サイトの編集長になったのか(後編)――BARKS編集長・烏丸哲也さん:嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/6 ページ)
大学時代からギターを始め、ロックバンドのギタリストとして活躍していた烏丸哲也さんは、後に音楽雑誌の編集者に転身した。取材される側から取材する側に立場を変えた彼が、音楽業界に対して思うこと、そしてBARKSの今後について聞いていく。
筑波大学で音楽活動開始 〜ヤマハ「EAST WEST」でいきなりグランプリ
1979年、共通一次試験の第1期生として、烏丸さんは筑波大学基礎工学類を受験し、合格した。筑波大学自体も、それまでの東京教育大学(戦前の東京高等師範学校)が茨城県の筑波に移転し、内容を大幅にリニューアルして新装オープンした直後の時期でもあった。
「仕送りで楽器を買って、バンドをやるんだと意気込んで大学に入りました。軽音楽同好会に入って、初めて本格的にギターに取り組んだんですよ」
1年生の冬にはステージに立っていたという烏丸さん。「頭の悪そうなハードロックばっかりやっていましたよ」と笑うが、その後、彼の音楽人生は急展開してゆく。
土木作業員、新薬の被験者、喫茶店の店員、家庭教師などのアルバイトと、軽音楽サークルの活動に明け暮れていた学生生活もいつしか時は過ぎ、烏丸さんは、某大手石油会社に研究職として内定した。
ところが1983年、ヤマハが主催するアマチュアバンドコンテスト「EAST WEST」で、彼のバンド「幼稚マン コーポレーション」がグランプリを受賞してしまったのだ(参照リンク)。
「このEAST WESTは、グランプリを獲ると大成しないというジンクスめいたものがありましてね。大成したのは、爆風スランプに、カシオペアくらいでしょうか……でもその時は『そんなに上手でもないのに賞を獲れたんだから、上手になれば完璧になる』と思って、『だったら、この道でやってゆこう』ということになったんですよ」
そして、彼は、大手石油会社の内定を丁重に辞退する。
「T.V.」としてプロデビュー
「プロダクションに所属しまして、レコード会社も決まりました」。1986年6月、烏丸さんのバンドは、次のようなメンバーで「T.V.(ティーヴィー)」として、ポリスターから正式にデビューした。
パート | 氏名 |
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Vocal&Guitar | 葛城 哲哉 |
Guitar&Chorus | 烏丸 哲也 |
Bass&Chorus | 近沢 克也 |
Drums | 土屋 薫 |
年 | できごと |
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1986年 | アルバム『Born to be wi-dol』、シングル『Born to be wi-dol / How to Debut』発売 |
1987年 | シングル『All American Boy / Bad News』発売、土屋氏が脱退し、2代目ドラムとして五十嵐公太氏が加入。ミニアルバム『Topping Voice』発売 |
1988年 | アルバム『TAKIN' Voyage』発売 |
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