弾圧を恐がり、“感度”が鈍い編集者たち――週刊誌が凋落した理由(後編):集中連載・週刊誌サミット(3/3 ページ)
週刊誌が売れない原因は、どこにあるのだろう。そのヒントを見つけ出そうと、“週刊誌サミット”が5月15日、東京の上智大学で開かれた。第1部の座談会に登壇した、田原総一朗氏や佐野眞一氏らは何を語ったのだろうか?
週刊誌はかなり“いい線”をいっている
元木:もし記事の内容で訴えられると、メディア側は立証責任を負わなければならない。メディア側からは立証するというシステムを変えるべきだ、という声も出ているが、現実的に可能なのだろうか?
田島泰彦:損害賠償の高額化が進んだときに、メディアはあまり伝えてこなかった。実は損害賠償の高額化は用意周到に準備され、行われてきた。まず政府与党は国会で「今のメディアの損害賠償額は安い」「もっと考え直す必要がある」といった質問をした。そしてこの問題は、裁判所に委ねられたのだ。
複数の裁判官がこの問題を調査し、「500万円〜600万円の水準にしなくてはいけない」という考えにまとまった。しかし調査している最中に、「500万円支払え」「750万円支払え」という判決が出た。こういう一連のプロセスについてメディアはきちんと伝えなければいけない。しかし「米国の損害賠償額は高い」という主張に対し、何の反論もせず「ああそうですか」と受け入れていった。
そもそも米国と日本を比較することはおかしい。日本の表現の自由は米国の10分の1ほど。なので「米国並みに」という理屈に対し、メディアは批判しなければならない。日本は表現の自由があまりないのに損害賠償の金額だけ高くすると、どういったことが起きるのか。すぐに分かるはずだ。しかしうまく議論できないまま、あっという間に損害賠償の額は500万円、750万円、1000万円となっていった。
政治家の疑惑について、週刊誌はかなり“いい線”をいっている。しかし公共の利害が関わっているかどうか、公益の目的があるかどうか、真実性があるかどうか。こういったことまで書き手側が立証しなければならない。この問題はきちんと議論していかないと、(このままでは)表現の自由を保障することはできない。メディアと市民が「もっとまともなものにしよう」と協力し、市民社会にふさわしい理屈を作らなければならない。
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