茅ヶ崎で名を轟かせた“ワル”だった……日本にマラサダを持ち込んだ男(後編):嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(1/6 ページ)
映画『ホノカアボーイ』で火がついたハワイ名物のマラサダ。そのマラサダを日本で販売している神谷亮廣氏とは、どのような人物なのだろうか? 後編では彼の人生とマラサダビジネスについて、紹介していく。
嶋田淑之の「この人に逢いたい!」とは?:
「こんなことをやりたい!」――夢を実現するために、会社という組織の中で目標に向かって邁進する人がいる。会社の中にいるから、1人ではできないことが可能になることもあるが、しかし組織の中だからこそ難しい面もある。
本連載では、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏が、仕事を通して夢を実現するビジネスパーソンをインタビュー。どのようなコンセプトで、どうやって夢を形にしたのか。また個人の働きが、組織のなかでどう生かされたのかについて、徹底的なインタビューを通して浮き彫りにしていく。
この春公開された映画『ホノカアボーイ』で取り上げられたことでブームに火がついたハワイの庶民の味マラサダ。ポルトガル移民がハワイに伝えたのが起源とされる、揚げパン風の、ふわっとした食感の甘い食べ物だ。そして、日本におけるその第一人者がマラサダワゴン代表・神谷亮廣(かみや・あきひろ)さん(34歳)である。
前編では神谷さんによる、マラサダを柱にしたハワイのソウルフードビジネスの現在についてお聞きした。
そこで後編では、彼の人生模様と日本におけるハワイビジネスの将来について明らかにしたい。
→あなたはもう食べましたか? ハワイのソウルフード……マラサダ(前編)
私、湘南のヤンキーでした、夜露死苦!
神谷さんは1974年、神奈川県の茅ヶ崎に生まれた。カニ座のAB型。父親は会社員、母親は書道の先生、それに兄が1人という家族構成。
「小学生のころは、有名進学塾の日能研に通う、勉強のできる大人しい子どもだったんですよ。でも親を喜ばす日々に飽き飽きして、中学受験ではすべて白紙提出し、全部落ちました。結局、地元の公立に進学したんですが、荒れましたね〜」と笑う。
いわゆる“ワル”として、茅ヶ崎一体にその名を轟(とどろ)かせた神谷さんであるが、中学生ながら、円覚寺に通って座禅を組み、般若心経を全部覚えてしまったという。
「私自身には宗教的背景などないんですが、あの凛とした、張り詰めたような緊張感が好きだったんですよ」
かなり大人びた子どもだったように思えるのだが……。
「そうかもしれません。実は私……5歳くらいのころから、相手が何を望んでいるのか、どうすれば喜んでくれるかが、読めたんですよ。子どもは大人が思っているほど子どもじゃないし、大人は子どもが思っているほど大人じゃないって当時から思っていたんです」
1990年、神奈川県立茅ヶ崎高校に進学。
「ここは映画『湘南爆走族』のモデルになった高校で、かなり荒れていましたね。私もかなり荒れていました。バイクに乗っていて、スピードで白バイに負けるのが何よりも悔しかったし、時速200キロ出るバイクに乗りたかったですね」
やがて、そんな神谷さんに転機が訪れる。
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