メディアはどのように変化するのか? 米国の最新事例:上杉隆×小林弘人「ここまでしゃべっていいですか」(5)(3/3 ページ)
購読部数や広告費の減少などにより、逆風が吹き荒れているメディア業界。深刻な状況に追い込まれている米国では、新たなメディアも生まれてきている。それは……?
ジャーナリストを支援するシステム
小林 イラク戦争のときに、寄付金だけで戦場に行ったフリージャーナリストがいます(関連リンク)。彼は「イラクに行って取材をしたいので、これだけのお金が必要です」と訴えたところ、実際にお金が集りました。
上杉 同じテーマを複数のジャーナリストが手分けして取材することは、1人で追いかけるよりも楽ですよね。例えば記者クラブ問題でも、ビデオジャーナリストの神保哲生さんと私で追及を始めました。しかし、もっと多くのジャーナリストと情報交換すれば、さらに大きな力になります(現在、Twitterを使いながら、何人かのフリージャーナリストが同じ戦列に加わり始めた)。
小林 日本こそ、米国にあるような個人ジャーナリストを支援するようなインフラやシステムが必要だと思いますね。
上杉 また複数の人間で問題を追及するということは、個々への攻撃が分散されるはず。例えば記者クラブ問題を追及している神保さんは、新聞協会主催のシンポジウムに呼ばれていました。記者クラブを守りたい側からすると「彼らを取り込もう」「上杉と神保を分断しよう」という思いがあるはず。実はこうしたケースはたくさんあるのですが、知らない人は多い。
例えば立花隆さんは、完全に取り込まれてしまった。多くのフリージャーナリストは「記者クラブはおかしい」といった考えだったのに、「立花さんは記者クラブに反対していない」となると、彼に付いていったフリーランスの人たちは“記者クラブ擁護派”になってしまう。なので一番嫌なのは、フリージャーナリストが分断されること。
立花さんが擁護派になれば、私は彼を攻撃するしかない(笑)。最近は「取材をしないような立花隆型のジャーナリストはすでに時代遅れ。引退しなさい」などと、いきなり立花さんの名前を出したりしている(笑)。
なぜ立花さんの名前を出すのかといえば、彼が「ジャーナリスト」と語るから。彼は評論家なのに、同じジャーナリストとして見られては取材している若手にとって迷惑。それにしても……私は記者クラブ開放の活動家のようになってしまった(笑)。
上杉隆(うえすぎ・たかし)
1968年福岡県生まれ。都留文科大学卒業。富士屋ホテル勤務、NHK報道局勤務、衆議院議員・鳩山邦夫の公設秘書、ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者などを経て、2002年にフリージャーナリスト。同年「第8回雑誌ジャーナリズム賞企画賞」を受賞。
『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』(新潮社)、『小泉の勝利 メディアの敗北』(草思社)、『ジャーナリズム崩壊』(幻冬舎新書)など著書多数。
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