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“よくできたゲーム”と“面白いゲーム”の違いとは?――マリオの父、宮本茂氏の設計哲学(前編)(1/5 ページ)

マリオシリーズや『Wii Fit』などで世界的な支持を獲得している任天堂の宮本茂氏。ゲームデザイナーとしての30年間の業績が評価され、第13回文化庁メディア芸術祭では功労賞が贈られた。受賞者シンポジウムでは、エンターテインメント部門主査の河津秋敏氏が聞き役となり、宮本氏が自身のゲーム設計哲学を語った。

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 電機産業や自動車産業などの日本伝統の製造業が世界市場で苦戦を強いられる中、存在感を拡大させているのがゲーム産業の雄、任天堂だ。2009年3月期の売上高は1兆8386億円、株式時価総額は3兆円超と日本第9位の企業となっている(2月9日現在)。

 京都で花札やトランプを製造する一企業に過ぎなかった任天堂が飛躍を遂げる上で、キーパーソンとなったのがゲームデザイナーの宮本茂専務取締役情報開発本部長(57)だ。宮本氏はマリオシリーズやゼルダの伝説シリーズのほか、『Wii Fit』のような健康管理ソフトも開発、老若男女を問わず、世界中の人々から支持を獲得している。

 ゲームデザイナーとしての30年間の業績が評価され、第13回文化庁メディア芸術祭(主催:文化庁、国立新美術館、CG-ARTS協会)で功労賞が贈られた宮本氏。2月5日に国立新美術館で行われた受賞者シンポジウムでは、エンターテインメント部門主査の河津秋敏氏(スクウェア・エニックス)が聞き役となり、宮本氏が自身のゲーム設計哲学を語った。


任天堂の宮本茂氏

自分が素直に面白いと思えることをやっているだけ

河津 まず宮本さんから受賞された感想をいただければ。

宮本 これは授賞式でもお話ししたのですが、功労賞というのはだいたい年配の方がいただかれるものなのですが、僕は5年ほど前から功労賞みたいなものをちょくちょくいただくようになりました。まだ現役のつもりでいるのですが(笑)。

 ただ、授賞式の時に河津さんたち審査委員の方々が出てくるのを見ていると、僕はもう結構年上なんですね。「浜野保樹(文化庁メディア芸術祭運営委員)さんくらいしか年上の人がおられないやないか」ということで、すごく実感しています。ずっと現場で若い人たちと仕事をしているので、全然年をとったという自覚がなくて、「ちょっと嫌な響きの賞かな」と思いながらも、この業界を長い間見てきた人間として、できるだけ貢献できるように頑張りたいなと思っています。


エンターテインメント部門主査の河津秋敏氏

河津 宮本さんはゲーム業界では世界的に有名で、ゲームを作っている人間で宮本さんの名前を知らない人は誰もいないわけですが、ゲームをプレイされている方には意外とまだまだ名前を知られていないと思います。特に日本ではこういう分野の人間自体あまり注目されません。

 世界的に知られている人なのに、あまり国内で知られていないというのは、同じゲームを作っている人間として非常に残念です。今回を機会に名前が広まっていって、「宮本さんを目標に頑張っていこう」という若い人たちが入ってきてくれるといいなと思っています。これからの若い人たちに対して、どのようにお考えですか?

宮本 これは恥ずかしいのですが、日本では「世界で知られている」と言われていて、ドイツの街頭で「知っている日本人の名前を挙げろ」とインタビューしたら名前が出てきたとかありますが、僕は海外で普通に歩けます。ゲームショウのような特殊な場面に行くと大変ですが。

 逆に海外では「この人は日本ですごい有名なんだよ」と言われているのですが、日本でも普通に歩いています。「何かを作っている人が有名である」ということには勘違いがあるようで、山手線に乗っていると、すごい小説家の先生が前に座っていることもあると思うのですが、みんな気付きません。若いころはちょっと自分の作品が売れると、「自分も有名になりたい」といった欲があったような気もするのですが、今は「作ったものがすべて」となっていますね。

 ゲームを作ることに関しては、日本人が作るものに対して世界的な評価はすごく高いです。そのため、「どうして日本でそういうものが作られるのか」と興味を持って分析したがる人もいるのですが、僕は日本というより、また東京とか京都とかいうこととも関係なく、「基本的に個人が作っている」ということが大事かなと思っています。

 僕は別に世界を意識して作っていないんですね。「自分が面白い」というとわがままな感じになるのですが、「自分たちが素直に面白い」と思えることをコツコツやっているだけです。ただ、何十年かやってきて振り返ってみると、「東京に憧れて出て行かなくて良かったな」と何となく思いますね。「京都にいて良かったな」と。

 僕は大学のころに金沢にいたので、金沢にそのままいたら「東京に出たい」とか「大阪に出たい」と思ったかもしれないですが、京都で普通に仕事をしている間に30歳、40歳になっていて、「別に京都でやっていて何も問題はなかったやん」と思うようになりました。(京都にいても)世界中で売れますから。僕が40歳のころには自分が作る作品は海外で売る数の方が圧倒的に多くなってきていたので、「別に京都でやっていてもちっとも問題なかった」と思ったのです。

 そうすると、「どこで仕事をするか」ということよりは、「誰が作っているか」をはっきりさせて作ることが大事かなと思っています。日本の若い人たちにとって憧れって大事だと思うんですよ。東京に憧れたり、有名になりたいと思ったり、「世界に羽ばたきたい」という憧れがあったりしてもいいと思うのですが、自分の足元をちゃんと見て作るということが大事です。僕は奇をてらったり、世界のためにと思って作っていたりはしませんから。ちゃんとやっていれば、ちゃんと評価をしてくれる人たちが世界中にいると思うので、頑張ってほしいと思います。

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