“特派員”は必要なのか? ネット時代で役割が変わる:相場英雄の時事日想(2/2 ページ)
「いつかは海外支局の特派員になりたい」と思っている記者は少なくない。特派員といえば華々しいイメージがあるが、ここ十年でその仕事の中身がすっかり様変わりしている。その背景にはどんなことがあったのだろうか。
ネット時代だからこそ“生のネタ”
主要紙、テレビで海外特派員がさまざまな情報を日本に伝えているが、「そのうち何割かは海外通信社や現地新聞の情報をお手軽にコピペし、日本語ニュースに置き換えたもの」(某紙NY特派員)なのだ。
先に触れたように、ネットを介して情報が瞬時に世界中を駆け回るご時勢で、特派員の仕事は大きく変質したにも関わらず、である。
海外のさまざまな金融取引のデータ提供がウリだった通信社の収益が落ち込んだ背景には、ネットの普及により誰もが簡単に、そしてタダでデータにアクセスできるようになったからに他ならない。これを主要紙の国際面に置き換えれば、いまだに現地紙のコピペでお茶を濁しているようでは、読者に飽きられ、かつ不要とされてしまうのは明白だ。「支局内のルーティーン業務が多すぎて、なかなか外に取材に出られない」(同)向きが多いのは事実だし、かつての同僚や他社の友人から実際に話を聞いている。が、ネットという巨大なタダのメディアができあがってしまった以上、ここに流れていない生の声、そしてネタを提供することこそが特派員の役目なのだ。
筆者は現在、複数の主要紙の特派員電を楽しみにしている。特派員諸氏が言葉の壁を乗り越え(あるいは優秀な現地スタッフを動員し)、各地の地ネタやイベントを丹念に回っているからだ。特派員が1人ひとり感じたこと、憤ったこと。これを文字にすると記事は俄然面白くなる。経費削減の昨今、人件費が膨大な額に上る特派員を削減し、海外通信社の配信や現地紙との提携に踏み切る国内メディアが増加するのは間違いない。海外特派員のさらなる健闘・奮闘を1人の読者として期待している。
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