キヤノンから中小企業まで……“仕事”基準で会社はこう変わった――人事コンサルタント、前田卓三さん(後編):嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(1/5 ページ)
バブル崩壊以降、長らく低迷を続ける日本経済。人事コンサルタントの前田卓三氏は低迷の原因は、日本の企業や官庁に人の属性に基づいて評価する“人”基準がまん延していることにあると主張、これを“仕事”基準に移行させることによって、体質を変えていったという。後編ではその具体例について聞いていく。
嶋田淑之の「この人に逢いたい!」とは?:
「こんなことをやりたい!」――夢を実現するために、会社という組織の中で、あるいは個人で奮闘して目標に向かって邁進する人がいる。
本連載では、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏が、仕事を通して夢を実現する人物をクローズアップしてインタビュー。どのようなコンセプトで、どうやって夢を形にしたのか。また個人の働きが、組織のなかでどう生かされたのかについて、徹底的なインタビューを通して浮き彫りにしていく。
若い人たちが夢を失い、社会全体に言いようのない停滞感が漂う国、日本。世界に目をやれば、日本の国際的なプレゼンスは低下の一途をたどるのみ。それに対する何ら有効な手立てを打てないまま、いたずらに政党の離合集散を繰り返し、短命内閣が相次ぐ日本の政治状況。
国民の熱い期待を集めた事業仕分けも、その実効性が見えにくい今、しかし、多くの人の知らない間に、実は非常に有望と言える改革の方策が登場していた。
それが、ヒューマンキャピタルソリューション研究所代表、前田卓三さんの構築した「仕事」基準という概念であり、それに基づいて作られた「付加価値報酬制(CVA)」である。今や、国会の論戦の中でも登場するようになった、この仕事基準という考え方の概要を前編でご紹介した。
後編ではそれを踏まえ、前田さんがいったいどのような経緯で、この理論を構築するようになったのかをご紹介しつつ、これを現実の組織に導入した場合、どのようなことが起きるのかについて、具体的な事例を通じて明らかにしたいと思う。
そして今後、これを軸に日本を再生しようと試みた場合、そこにはどのような課題が存在するのか、そしてそれはどうすれば克服可能なのか、検討していきたい。
→公務員の“高給取り”をどうとらえるか?――人事コンサルタント、前田卓三さん(前編)
仕事基準のコンセプトはバブルから生まれた!?
前田さんは慶應義塾大学を卒業後、ニューヨークとロンドンのビジネススクールに留学。以後、一貫して外資系企業一筋に歩んできた。
- 1987〜1993年 ビジネスインターナショナル日本支社長
- 1993〜1999年 コーポレートリソーシズ・グループ・ジャパン株式会社(本部:スイス・ジュネーブ)代表取締役
- 1999〜2002年 プライスウォーターハウスクーパースGHRS株式会社取締役会長。
そして2002年12月、ヒューマンキャピタルソリューション研究所を設立し、以来、その代表を務めている。前田さんは、華麗ともいえるこのキャリアのどこで、どのようにして、仕事基準に基づく人事評価制度を構想したのだろうか?
「私は外資系企業勤務だったこともあり、世界各国の人々といつも交わっていたのですが、バブルのころ、『日本は何かがおかしい』と思い始めたんです。日本は経済原理で動いていない。日本を動かしているのは“エモーション”や“空気”ではないのか……と。
ちょうどその当時、ロンドンの『エコノミスト』のビル・エモット副編集長※と交流があったんですね。彼は『日はまた沈む』を書いた人で、『奥の細道』を原書で持ち歩くほどの日本通なんですが、彼が『日本はまったく変わっていない』と言うんです。『それって何なのだろう』と思い始めた私は、日本人独特の行動パターンについて論文を書き始めたのですが、それが最初ですね」
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