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コラム

高い目標設定と低い目標設定、どちらが仕事で幸せになれるのか(2/3 ページ)

「できる人ほど仕事が集中する」―――これは組織における仕事分布の法則である。そしてできる人、頑張る人ほどカラダを壊す。そんな中、組織には能天気に雇われ続ける人もいたりする。なら、いっそ能力や向上意欲などないほうがシアワセなのかもしれない……そんなことを考えてみた。

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1.リスクを負った努力は中長期できちんと報われる

 人生は1回限りの勝負ではない。長い間の勝負の連続である。プロ野球なら1試合は9イニングあり、年間では144試合ある。相撲なら1場所15番あり、年間では6場所ある。人生やキャリアは、もっともっと長く多くの勝負の積み重なりで形成されてゆく。

 Bさんはその日たまたま頂上に行けなかった(=負けた)。確かにその1回の勝負は負けだったかもしれない。しかし、多分Bさんは翌日か、次の機会かもしれないが、その山の頂上に必ず立つだろう。Bさんはそうやって自分なりに勝ちを積み重ねる人だ。そういう“心の習慣”を持った人は、中長期的にきちんと幸福を得る。どういった幸福かといえば、自らの成長を楽しみ、多少の障害などにへこたれない強い心身を持つ、という幸福だ。

 「high aimer」というのは、high aimであるがゆえに不満足に陥るのが宿命である。しかし、「高いところに矢印を向けている」その心の習慣こそが、最終的には人生の高台に自らを導くことになる(と私は信じたい)。

2.意味が満たされていれば幸福である

 Aさんの満たされ度は10割。Bさんの満たされ度は5割、だからAさんのほうが相対的に幸福ではないか、先ほどはそう考えた。しかし、この「満たされ度」は、目標に対し何合目までが達成されたかという物理的な尺度である。

 だがここで尺度を変えて、意味的な満たされ度を考えるとどうだろう。Bさんは登山に対し、登頂を目指すことに一番の意味を感じている。だから、それを決行した。たまたま悪天候で途中下山したが悔いはない。自分の見出した意味に対して10割の行動をとったBさんは、決して不幸ではないし、不機嫌になる必要もないのだ。

 ……さはさりとて、現実問題、人間というものは目に見えるもので満たされないと、ついつい幸福感が縮んでしまう悲しい性(さが)を負っている。ふもとに下り、リスクを負わなかった人間(=Aさん)がゆったりと温泉につかっている姿を見たBさんが、不機嫌になったのも無理はない。

3.知足者富(足るを知る者は富んでいる)

 さて今度は、栗拾いに行ったPさんとQさんの話をしよう。2人は1時間ほど山の中にいて栗拾いをし、Pさんは20個ほど採れたのでこれで十分だと思い、山から引き上げてきた。一方、Qさんは、タダなんだからもっともっとということで、さらに1時間拾い回り、結局50個集めてきた。「日が暮れなきゃ、もっと採れたのに」と悔しそうだ。

 さて、この話において、Pさんは「low aimer」の満足で、Qさんは「high aimer」の不満足ということになるだろうか?

 ……いや違う。これは言ってみれば、 「modest wanter」(控えめな欲求者)の満足と「more wanter」(「もっともっと」の欲求者)の不満足 ととらえたほうがよさそうだ(なお、“aimer”や“wanter”はここだけの造語で正式な英単語ではない)。そう、2人の「欲求の容れ物」の違いの話だ。

 「modest wanter」が持つのは、ceramic pot(陶器)である。手で持てる大きさでしっかりとできていて、ときに器に満たしたものを他人に注いで分けてやることもできる。

 一方、「more wanter」が持つのは、balloon bag(ゴム風船の袋)である。詰めても詰めてもどんどんふくらんでいくので満ちることを知らない。また、ところどころにすぐ穴が開いて中身が漏れ出すので、いつもそのことを神経質に見ていなくてはならない。

 「high aimer」の不満足、これは一種、健全なものだ。では、「more wanter」の不満足、これは「欲張り」という一種の悪癖といっていいかもしれない。

 そこで例題、「今の年収400万円じゃやってられないよ。20代のうちに2000万円稼ぐ仕事に就いてみせる!」という人間がいたら、彼(彼女)は「high aimer」の不満足なのだろうか? それとも「more wanter」の不満足なのだろうか?

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